引退発表の柏木陽介が語った“浦和の太陽”の覚悟「最後の2年間はメンタルがしんどかった」
今季限りでの引退を発表した柏木陽介。サンフレッチェ広島ユースを経て、サンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜と渡り歩いた35歳。特に11年にわたってプレーした浦和では多くのタイトル獲得に貢献した。自身のキャリアを「かけがえのない最高のサッカー人生でした」と振り返る一方、個別取材では「浦和での最後の2年間はメンタルがしんどかった」と本音を漏らした。本人の言葉で改めて振り返る“浦和の太陽”が背負う重圧と覚悟とは? (文=佐藤亮太、写真=アフロ)
そこには常に柏木陽介がいた。西川周作と興梠慎三の思い
11月1日、FC岐阜に所属する柏木陽介が今季限りの引退をクラブの公式ホームページを通じて発表した。 2005年から2009年までサンフレッチェ広島で、2010年から2021年2月まで浦和レッズ、そして同年3月からFC岐阜と3クラブで活躍した。 「浦和レッズはプロの厳しさ、そして最高の喜びを教えてくれた場所」 自身の浦和での11年間を柏木はこのように語った。その言葉通り、柏木は浦和の中心。まさに太陽だった。 加入2年目。2011年にはルヴァンカップ準優勝とともに残留争いを経験。2014年にはガンバ大阪に勝点1差届かず、リーグ2位に。2ステージ制導入となった2015年はファーストステージ無敗優勝を達成し、年間順位は3位。続く2016年にはルヴァンカップ優勝。2017年AFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝。2018年、天皇杯優勝。2019年にはAFCアジアチャンピオンズリーグ準優勝……そこには常に柏木陽介がいた。 「陽介は誰も予想しないようなパス、アイデアをピッチで表現していました」と語ったのは西川周作。 「素晴らしいのはプレーだけじゃなく、その人間性。若手をご飯に連れて行ったのはおそらく一番だったと思います。若手からしたら親しみやすい存在。チームではベテラン組と若手組の距離を近づけてくれました。 キャプテンになったとき、本人はプレッシャーを感じていましたし、よりチームのためにという思いは強く、下を向く時もありました。そうした姿は陽介の素直なところでもあったと思います。本人から引退の連絡はありました。もちろん寂しさはあります。今年は同い年くらいの選手が立て続けにやめる中ですが、陽介のお疲れ様会を開きたいですね」 興梠慎三はこのように柏木への思いを語った。 「あいつとはレッズでともに長く一緒にやってきた仲。あいつがキャプテンで俺が副キャプテンという時もあり、いろいろなモノを背負って、一緒に戦ってきました。引退は寂しいが、思い返せば、アシストをもらって決めたゴールはたくさんありました。あいつがいたからこそ、自分は輝けた。感謝の気持ちしかないです。 浦和でプレーすることはいろんなものを背負ってプレーすることですし、陽介もそのうちの一人。あいつなりにゴールよりアシストにこだわりながらやっていたし……自分にとって大きな存在。試合を決定づけるラストパスはあいつの魅力。いまは特に(柏木選手のようなプレーをする選手は)なかなか見当たらない。チームに一人欲しい選手」 「チームのためにという思いは強く、下を向く時もありました」 「いろいろなモノを背負って、一緒に戦ってきました」 柏木陽介はどれだけのモノを背負って戦っていたのだろう……。