保健所発祥の地「所沢」に20年ぶりに再設置へ コロナ禍で存在感 中核市移行で実現
保健所発祥の地とされる埼玉県所沢市(人口約34万人)には現在保健所がなく、同市を含む近隣5市は狭山市にある狭山保健所管轄になっている。保健所復活を要望する声があったなか、所沢市は中核市移行の準備を進めており、うまくいけばこれに合わせて再び保健所が設置されることになる。新型コロナウイルス禍の際にクローズアップされ、市民生活に身近な存在であることが認識された保健所。再設置で市民の利便性が向上することになりそうだ。 ■米財団の支援で「農村保健館」開設 保健所は食品衛生、精神保健、感染症予防などの業務を行っており、設置者は都道府県、政令市、人口20万人以上の中核市など。新型コロナ禍のときは、在宅療養者の健康観察や感染者の入院先の調整、電話相談などにあたっていたことは記憶に新しい。 発祥については、昭和12年、米国のロックフェラー財団の寄付により公衆衛生の技術者養成の機関として所沢町(当時)に開設された「農村保健館」が保健所の先駆け。16年に所沢保健所に改称された。現在、所沢駅東口ロータリーに「保健所発祥之地」の石碑が立っている。 所沢保健所は平成22年、施設老朽化などのため、県の保健所統廃合により狭山保健所に統合されて姿を消した。市によると、当時は市民から「保健所発祥の地なので残してほしい」との声が出ていたという。 市は令和2年からの新型コロナ禍による狭山保健所の逼迫(ひっぱく)を踏まえ5年2月、県に市に保健所を設置することを要望。この段階では設置者である県に市がお願いするという構図だった。 しかし、5年10月に行われた市長選で「中核市になって市の保健所をつくる」と訴えた小野塚勝俊氏が当選して状況が変わる。中核市になる要件のひとつとして市が独自に保健所を設置する必要があるためだ。 ■12年4月の移行方針 県内では政令市のさいたま市のほか、中核市になっている川越、越谷、川口の3市が独自に保健所を設置している。 所沢市では市長選後すぐにプロジェクトチームを設置し、中核市移行にあたっての諸課題を検討。12年4月に中核市に移行する方針をまとめた。この移行により、〝保健所発祥の地〟である市に、20年ぶりに保健所が復活する見通しとなっている。(半田泰)