【参院選2016 第一声】おおさか維新の会 東京選挙区・ 田中康夫(全文)
第24回参議院選挙が22日、公示されました。7月10日の投開票に向け、論戦が始まります。東京選挙区にはおおさか維新の会の 田中康夫氏が立候補し、第一声を上げました。 参院選スタート 「東京選挙区」の各候補が第一声【動画付き】
田中:私は、守るべき人を間違えない、田中康夫です。第24回参議院議員通常選挙、東京選挙区から立候補をいたしました。どうぞ、よろしくお願いを申し上げます。 今、私もある意味では親友でありそして敬愛する人物であります、下地幹郎さんからあいさつをいただきました。下地さんがその中でおっしゃったことは、以前から私も目指してきた地域主権の確立、そして中央集権と既得権益の打破、このことにつながると思っております。目指す頂きは一緒であります。 そして今、話がありました規制緩和、この規制緩和が国民益に根ざした規制緩和である、私はそのように思っております。国益、国益と声高におっしゃる方がいます。しかし、国益は国家益ではありません。1人1人、今、この瞬間も東京都内の各地、そして全国津々浦々でまっとうに働き、学び、暮らしている方々の悲しみや憂いを、喜びや希望へと一緒に変えていく。それが国民益であり、その国民益が確立してこそ初めて私たちが生まれ育った、あるいは移り住んだこの東京、また日本というものが信じられるものになっていく。このように考えております。 暴走する永田町の政治が続いています。迷走する東京の都政が続いています。私は、県民の理解と職員の協力を得て、福祉、医療、教育をはじめとするさまざまな分野で、県民益、そして国民益の確立に向けて歩んでまいりました。私利私欲とは無縁の私には、皆さまに政治をすることができる、そして一緒に変えていくことができる答えがある、このように感じております。ガラス張りの。 男性:救急車通りますんで。 田中:暴走する永田町の政治、迷走する東京の都政、これを皆さまとご一緒に変えていく。その上において私には答えがあります。ガラス張りの選挙事務所をこのたび設けました。いくつか書いてあります。まず1つは、老保一元化の宅幼老所を都内の各地にということです。先日、ある区で保育所の設置場所がない、公園を半分つぶして保育所にする、公園でゲートボールを楽しんでいらっしゃったお年寄りが嘆き、そしてお子さんの保育施設がないお母さんが切望する、これは不毛な神学論争であります。 今、日本、そして東京の空き家率は12%を超えております。十分に使える建物があります。にもかかわらず今までの福祉行政は、新築の建物でなければデイサービスも、保育所も国が補助をしない。福祉も箱物行政でありました。これが1,000兆円を超える日本の破綻しかけている財政の現実です。 信州・長野県の知事時代、商店あるいは住宅の空き家を活用して、そこでデイサービスを行いました。今あるものを活用する、創作のつくるではなく、今あるものを直す、守る、そして創造の創るへと変えていく。そこに保育士の資格を持った方が1人いらっしゃれば、おじいちゃん、おばあちゃんとお孫さん世代の方が、一緒にお昼ご飯を食べて、一緒にお昼寝ができる。お互いの元気とお互いの知恵を分かち合える。幼保一元化ならぬ、老保一元化、世代分断型ではない、そして遠くの施設ではなく、地域分散型の施設。 私は東京も2020、オリンピックの年には、人口が減少してまいります。他の地域よりもコミュニティが希薄になっている東京において人口が減少していけば、それは今までとは想像を絶する限界集落化であります。私はそれぞれの地域の細胞というもの、人間にも60兆の細胞があります。その細胞は大きな心臓や大きな脳によって全てコントロールされているわけではない。皆がネットワークを組みながら、それぞれの細胞が冷たいと感じたり、温かいと感じたりする。1つ1つの私たちのコミュニティに活力をもたらす宅幼老所を、の東京においても、信州で350カ所設置をいたしましたように行いたく思っております。 すでに国の制度は、私が衆議院議員時代に国の制度となっております。しかし、厚生労働省の中では、老人の部門と乳幼児の部門、あるいは障害者の部門が別なので、統一したパンフレットすら作られておりません。このような縦割り行政を、もう一度横串を刺す。そういうことも、ささやかだけれども確かな、私が皆さまと行うことだと思っております。 保育に関して申し上げれば、日本にも保育ママという制度がございます。しかしながら必ずしも機能しておりません。合計特殊出生率2.01のフランスは、ヨーロッパ大陸における最も子育ての施策を行っていると。対GDP比で日本の3倍の金額であります。このことを申し上げると日本も3倍の金額にして、福祉の箱物をつくろうと。このようにはやとちりされる方がいるかもしれません。フランスの保育ママは日本の制度とは明らかに異なります。子育ての経験のある方に60時間の講習を受けていただく。その資格を取った方が、ご自分の自宅で近隣のお子さんを最大3人までお預かりをすることができる。フランスの保育は、こうした保育ママによって担われている部分が7割にも達しています。それは何か。今までの福祉においても大きな団体や組織や組合へとお金を、ピラミッドの構造の中でトリクルダウンをする。これが今までの日本の行政であり、政治でありました。 フランスの保育ママが私たちに教えてくれることは、それぞれ地域を愛し、近隣の方を愛する。その人間を信用して、その人間に活力を与えるための税金を用いる。これが私は持続可能な財政再建をしながら、福祉の質を落とさないことだと思っております。日本においてもこのフランスの制度に倣って、保育ママというものをもう一度組み立て直す必要があろうかと思います。 3番目はベーシックインカム、基本所得補償であります。日本の年金制度は破綻しております。100年安心年金といったものは、ものの2年、3年で100年たってしまったわけでもないのに破綻してしまった。しかし、問題先送りを続けています。日本と同じように悩みを抱えるオランダにおいては、すでに生まれたばかりの赤ちゃんから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、世帯単位でなく1人1人の人間単位で毎月一定の額をお支払いをする、ベーシックインカムの試験導入が始まっています。カナダでも近く始まります。これも人を信じるということであります。そして、分け隔てなくということは、おそらく私もあるいは下地さんも、またこちらにおります、本日、司会を務めてくださっております、東京都議の柳ヶ瀬さんも感じてることだと思います。 私は、かねてから公正であること。平等とか公平ではなく、公正であること、フェアであること。そしてガラス張り、オープンであること、そして制度は分かりやすい、シンプルであることと述べてきました。今、子供のために奨学金の額を増やすか増やさないのか、返済の額を免除するのかしないのか。これは古めかしい労使のベア交渉のような話であります。こうした金額の多寡、取る、取らないの話は、結果として役所の裁量行政になり、族議員や族団体を生みだし、第三セクターや外郭団体を生み出すことになります。 私はシンプル、分かりやすい制度、そしてフェア、公正である制度、そして誰にも隠しごとがないオープンである、ガラス張りである制度。私はこのベーシックインカムというものが、北欧諸国のみならずアメリカ大陸においても大きな議論となっていることはこれこそが、税金を少なくするためにサービスを低下させるということではなく、私たちのサービスの発想を変え、仕組みを変え、そして提供するサービスが充実する中で皆が納得をして持続可能な財政再建を行い、そして税金を(※判別できず)していく。その象徴的なものがベーシックインカムだと私は考えております。 4番目に掲げましたのは、木製ガードレールであります。先ほどフリップを用意したんだが、ごめんなさい。私が忘れてきました。 日本の国土の森林面積は66.6%でございます。国家益を声高に語る方が聞けば、この66.6%という言葉につい魅力を感じるかもしれませんが、日本の国土はフィンランドに次いで森林の面積が世界第2位であります。にもかかわらず奥多摩の皆さま、針葉樹は戦後に造林をした針葉樹というのは、二残一伐という2列残して1列削ることをしないと、日が当たらないのでもやしのようなままになってしまう。けさのみそ汁でもやしは飲みましたので、好きではありますが。すなわち奥多摩の森林、針葉樹を間伐をする。けれども今までは間伐をした木がそのまま売れないので、切り捨て間伐といって洪水の原因になっていました。 私は、ガードレール、村道をつくるときでも国は65%、無論皆さんの借金ですが、お金を負担します。しかし道路の補修やガードレールは維持修繕費なので、国からの直接の補助がありません。交付税措置されている額も極めてわずかであります。ガードレールは今、大きな製鉄メーカー3社の系列のものだけです。 鬼押出しの紅葉の時期に写真を撮った方が、私が知事になった直後に当時ファクスをよこされて、写真を撮ったら後ろに白いガードレールが写っていて興ざめだった、じゃあ茶色く塗ろうかと職員と言っていたのですが、鉄は鉄で、無論鉄が必要な場所はあります。そのときに、長野の林業総合センターに大きなメタセコイアの木の切り株がありました。これは丸の内の旧丸ビルを支えていたメタセコイアの木です。腐ってもいません。根こそ生えていませんが、いまだに生きてるようだと、私は木の生命力そしてその強さに感銘を受け、(※判別できず)建設業の方々の、意欲ある方々と一緒に、鉄のガードレールと同じ強さを、日本自動車研究所、つくばの試験場で実証実験をしてつくったのがこの木製ガードレールです。国の制度にもなっています。 しかしながら国は、このガードレールをモデルケースという形で年間50カ所、100カ所しか設けていません。私は、2020年度オリンピックを迎えるこの東京が、皇居をはじめとする都内一帯に、鉄と同じ強さ、そして鉄のガードレールは地元に落ちるお金は敷設をする費用だけです。間伐、製造、敷設まで一貫して行える木製ガードレールは、地元での地域の雇用を5倍にするものであります。皇居の周辺にこの奥多摩の間伐材を活用した木製ガードレールを設ければ、東京、日本に訪れる世界の方々は、これこそまさに空理空論ではない、環境立国を目指す日本、このことを実感していただけると思っております。 あと4点ございます。簡単にまいります。うちにも、家内の恵と一緒に授かりました、トイプードルの「ロッタ」という娘がおります。愛するわんちゃんや猫ちゃんというものが、殺処分をされたりする、あるいは行方不明になる。私はそのようなことを防ぐ上でも、マイクロチップを動物に装着することを義務付ける、この取り組みを行いたいと思っております。 そして、こちらに書きましたように平和的予備役であります。これは以前に私が、ペルーで地震が起きたときに、日本は物資を送っただけでした。それもマイアミに備蓄している毛布の類いを。外務省の方も行かない。飛行機に乗せて、そして現地のJICAの方がそれを政府に届けた。ペルーは日本から多くの苦労をされて、ペルーで地歩をかづかれた人々がいて、親日的であります。テロ事件があったときも、日本の方を1人として傷付けることなく救ってくれた国であります。 そこに国際貢献と言いながら、マイアミに備蓄していた物を届けるだけである。私はそのときに、チチカカ湖まで行く道路が寸断され、水道が出ないときに、日本のマイスター、水道の業者の方々が日本の飛行機で飛び立ち、1週間でも10日でも水道が早く復旧をしたならば、それは私は長い間、ペルーの方にとって日本は信用に足る国だ、国民益に根差した国だと、国家益を声高に語る国ではないということを理解していただけると思いました。 先般、熊本においても水道がなかなか出ませんでした。あるいはガスも同様であります。道路もそうでありましょう。日本は物づくり産業の国であり、60、70になっても元気で地域で活躍されているそうした専門資格を持った方がいます。私は、こうした方々をあらかじめ、平和的予備役として登録をしていただく。そして東京さらには日本で天変地異があったときには、そうした方々に真っ先に駆け付けていただける。そのための手段を国がきちんと講じる。私はこれこそ、人が人のお世話をする、人が人を救うという国民益に根差したものだと思っております。平和的予備役であります。 そして、乳幼児から大学までの教育の完全無償化。これは国政政党・おおさか維新の会も掲げていることであります。とかくこの問題を申し上げると、それは法律で決めればいい話だろうという方がいます。でも、法律は基本的に国民へ義務を課すものが法律なのです。そしてこれは、いくたびかの政権交代のたびにそれぞれの施策が良かった、至らなかった、という以前に、政権が変われば意図も簡単に教育の、子育ての方針が変わってしまう。そこに用いる費用も変わってしまう。私は憲法第26条で保障されている教育を受ける権利。このことが時々の政権の思惑によって、かぎ括弧、新しい判断、かぎ括弧閉じ、で左右されない。そうした日本にすることが、皆さまが日本で暮らしていることに誇りと、そして喜びを感じることだと思っております。すなわち法律ではなく憲法で規定する内容は、こうした国民の権利であります。 今、他方で議論されている方々は、本来、私たちが小学校のころから習った国民の権利というものをきちんと明確にし、それを実現する上での、それが損なわれないための国家の義務というものを、規定するものが憲法であったはずです。にもかかわらず今、声高に語られている方々の大半は、国民の義務を規定しようとし、そして国家の権利を規定しようとしている。そのことが今日、今、ここにお越しの多くの表現者が属されているマスメディアの世論調査において、半数を超える多くの方は現政権下での憲法改正には反対だとおっしゃっているということです。 それは現政権になる前のわずか十数年前においては、半数を超える方は憲法の至らない点は改めようと言っていたのと、まったくロールシャッハテストのような状況にある。それは事細かな、生煮えの憲法草案を読んでいなかったとしても、そこにある志が国民の義務と国家の権利を語る、憲法とは似ても似付かぬものではないかという、不安や保身から来ていると思います。 5月18日の党首討論で民進党、そして日本共産党に次いで、国政政党・おおさか維新の会の共同代表の片山虎之助共同代表は、わずか与えられた4分間、これは質疑も含めてでありますから、先方が4分の3しゃべれば1分しかありません。その中において、明確に日本の憲法の良いところはきちんと残す。熊本の地震を見ても緊急事態条項は不要である、そして憲法9条の改正は性急であり、行うべきではないということを述べております。そして、ここに掲げた統治機構改革、憲法裁判所の設置、そして乳幼児から大学までの教育の完全無償化ということをきちんと憲法で規定しようと述べているのが、国政政党・おおさか維新の会であります。 それぞれお仕事や学業や生活が忙しくて、必ずしもこの下地幹郎さんや柳ヶ瀬さんをはじめとする方々が掲げているものを、的確にはご理解いただけていない方がいらっしゃるとするならば、この選挙戦を通じてそのことを語るのも私に課せられたミッションの1つであろうと思っております。そして、そのベクトルは先ほどの統治機構改革同様、私がかねてより思っていたことであり、この点においても、ご一緒に同じ頂きを目指すということであろうと思っております。 大変に話が長くなりましたが、この場に事務所を設けさせていただいたことを最後にお話をいたしたいと思います。先日、6月8日にこの鳥居坂の上の国際文化会館で立候補の表明をする会見を開かせていただきました。そのときにも述べましたが、まさに無謀な戦いをして敗戦をし、焦土と化したこの日本を対米関係だけでなく、日本が孤立しない、そして世界の一員であり、世界から尊敬され、頼りにされるだけでなく、至らない点を耳をすませて聞く謙虚さを持つ、そのためにアメリカのロックフェラー財団と日本の経済界、あるいは学術会の方々が、協力をしてつくったのが六本木の国際文化会館であります。その坂の下であります。 同時のこの麻布十番は、ご覧いただければ分かるように、至近の場所に大きな商店がある。チェーンストアだけではなく、地元に根差してずっとご商売をされている方々が今もいらっしゃいます。私は東京という町の活力は、神戸、京都、大阪と異なる点が1つ、地勢的にあると思っています。以前、『POPEYE』であったり、『an・an』であったり、『朝日ジャーナル』であったり『週刊SPA!』で幾度か書いてきたことです。今、申し上げた京阪神と呼ばれる場所は、南から北に向かってなだらかな坂であります。そして、線路も道路も、無論道路は縦はありますが、基本的に交通機関は東西に動く形です。 ファッションをはじめとして、あるいは伝統的な文化であったり、神戸や京都から出てくるものがあります。しかしそれは東京という皆さんの、マスメディアがある場所を通さないと増幅されないと今までは思われてきました。でも、東西南北、上下左右という単純な分子運動と違って、東京には真ん中に関東の穴のように動くことのない皇居があります。その周りに放射状と環状上の道路があります。そしてこの麻布十番も、麻布十番の商店街があり、そこにお買いものに来る方、そして公立の小学校に通う方は、その坂の下の商店街の方もいれば、その坂の上の元麻布の子供たちもいる。小さな範囲の中にさまざまな、単一ではない、そこにウサギさんもいればカメさんもいれば、もしかしたらシマウマさんもいる。それが私は東京のそれぞれの地域が活力を持って、1,300万として大きなエネルギーになっている。京阪神間には見られない分子運動だと思います。 港区も千代田区も文京区も、とりわけ都心は多くの坂あり、山ありの場所であります。そこにさまざまな方がいらっしゃる。美智子皇后が育たれた五反田の池田山も、下には商店街があります。坂を上ったところには住宅街があります。でもそれは今、日本で言われているような経済的新自由主義の下でも、格差社会とか二元論ではありません。それぞれの地域の中にさまざまな方がいて、さまざまな暮らし向きをみながら共に助け合う。私はこれが今までにあった東京の活力である。 その東京の活力というものを今なお、自らの力によって保ち続けているこの場所において、そして日本が孤立をしないということを願って、多くの方の協力によって築かれた国際会館との、その接点であります鳥居坂下にガラス張りの選挙事務所を持てたことを大変に、そのためにご尽力をくださった多くの方に感謝を申し上げたいと思います。 そして、国政政党・おおさか維新の会の、東京における東京維新の会の若きメンバーが、今日もたくさん集ってくれております。先日、有楽町で街頭演説をしたときに、私が家に帰って一緒に見ておりました家内に話したことは、今までの古めかしい既存の政党にいるのとはまったく違う、私が非常にバイアスなく、共に語り、共に動き、前へ向かっていくことができる仲間だと思ったと言われました。無論、それまでにほかの所属をされていた場所はあったかもしれません。でも、政治になるのが職業、そうした方は地位が人を駄目にし、貧すれば鈍する方がいます。 山の手線の少し西側の外のところにも、そういう方が先日までいらっしゃいましたが。私は彼らの漂う雰囲気というものは、議員になる前にやはりこの私たちの世の中を、1人1人はささやかだとしても、微力だとしても、1つ確かなことをしたい。皆がその同じことで協力ができれば微力などではない。無力ではない。微力だけど無力じゃないということを信じて集っている仲間だと思いました。この話をしましたら、家内が同じ感想を述べました。 私はそういう仲間の横一線の支援の下で今日から選挙戦を、この東京、広い東京の、この瞬間もまっとうに学び、働き、暮らしている方々に、私たちの願っていること、実現しようと思っていることは、皆さんの願っている希望と同じであると愚直に伝え、そして1人でも多くの方に私たちの目指すベクトルは、多くの都民や国民が目指しているベクトルと同じであるということを納得していただき、そして確信をしていただき、7月10日の投開票日を迎えたい、こう考えております。どうぞ、よろしくお願いをいたします。私、田中康夫、守るべき人を間違えません。