匈奴、鮮卑、突厥、ウイグル、モンゴル…。世界史を動かした遊牧王朝の待望の「通史」、ついに刊行!
巧みに馬を操り、ユーラシアの草原を駆けた遊牧民が、西のヨーロッパ、北のロシア、東の中国にも脅威となり、古代以来の世界を動かしていた――近年よく語られる世界史像だ。しかし、そうした遊牧集団の実態にはわからないことが多い。しかも馴染みのない部族や王朝の名前が次々に出てくる。そんな遊牧民と遊牧王朝の5000年におよぶ歴史を1冊にまとめた「通史」がついに刊行された。 【写真】羊と馬が群れる高原
ユーラシアの「心臓」を掘り下げる
遊牧の始まりから、世界帝国の興亡まで――モンゴル高原の遊牧民の歴史を描いた『遊牧王朝興亡史――モンゴル高原の5000年』(講談社選書メチエ)がいよいよ刊行された。著者は、白石典之氏(新潟大学教授)。この30年あまり、モンゴル国ばかりでなく、中国からロシアまで、モンゴル高原各地の遺跡を発掘調査してきた、モンゴル考古学の第一人者だ。 「遊牧民の歴史を、彼らの視点に立って、匈奴(きょうど)からモンゴルまで一望できる本というのは、モンゴルにもないと思います。世界的に見てもたぶんないんじゃないでしょうか」(白石氏) 近年の「世界史ブーム」のなかで、ますます注目されているのが、ユーラシア各地に大きな影響を及ぼした遊牧民の活躍である。その「震源地」が、「モンゴル高原」だ。 〈戯れにユーラシア大陸を人体になぞらえてみる。思想や制度を生んだ地域を頭、技術や工芸を進歩させた地域を手足とすると、ヨーロッパ、西アジア、インド、そして中国が、時代の流れのなかで、あるときは頭、またあるときは手足の役目を担ってきたといえる。それでは「心臓」はどこか─。 筆者はモンゴル高原こそが心臓にふさわしいと思う。そこに暮らす人々の動きが、ときとして大きなうねりとなり、ユーラシア各地へとひろがった。そのようすが鼓動によって押し出される血液の流れを思い起こさせるからだ。〉(『遊牧王朝興亡史』p.9) たとえば、紀元1世紀末、モンゴル高原に始まった人々の流れは、西ではヨーロッパを席巻した民族大移動を引き起こしたといわれる。また、匈奴や鮮卑(せんぴ)、突厥(とっけつ)など遊牧集団の動向は、漢や唐など中華王朝の脅威となっただけでなく、社会制度から衣食住まで、現在に続く中国文化には遊牧文化の影響が及んでいる。 さらに、いわゆる「モンゴル帝国」の出現によって洋の東西が結びつくと、交通システムが整備されて、物資と情報とが目まぐるしく行き交った。 〈ユーラシアに張りめぐらされた当時の駅伝網は、さながら人体の循環器系の解剖図のようにもみえる。「モンゴルが世界をつくった」という謳い文句が、近年の歴史書に散見されるが、こうしてみると、けっして大袈裟ではない。〉(同書p.10) しかし、こうして語られる「遊牧民の歴史」に、白石氏は不満も感じてきたという。それは、文献史料からわかるのは、遊牧民の姿のごく一部でしかないからだ。 考古学者である白石氏の視点は、文献史料を重視する歴史学者とは異なっている。 「文献っていうのは特別なこと、イベントがあったときに書き残されるものなので、日常生活のことはほとんど記されていない。でも、それがたとえば9割を占めていて、特別なことが1割だったら、文献からは9割のことがわからないことになってしまう。その9割がわからなかったら、モンゴルのことも遊牧民のこともわからないんじゃないかなっていうのが、私の基本的な考えですよ。」(白石氏)