「あなたに生きていてほしかった」院長の妹がずっと伝えられなかった言葉 北新地放火殺人事件から2年
2021年、大阪・北新地のクリニックで起きた放火殺人事件から、17日で2年となります。26人が命を落としたのは、休職している人が再び元気に働けるようリハビリに取り組み、希望で溢れていた「西梅田こころとからだのクリニック」でした。 【動画】思っていても言えなかった…事件から2年、心の声に寄り添い少しずつほぐれた本当の気持ち 北新地放火殺人 「一緒にどうやっていったらいいかって考えたり、一緒に悩んだりすることが一人ずつのためにいいのかなと思って…」 クリニックの院長だった西澤弘太郎さんの妹・伸子さん(46)は、この2年間、兄の足跡をたどり、多くの「声」と向き合ってきました。様々な活動を経て、『僧侶』になることを決断した理由と、伝えたい言葉を誰かの前で話せるようになった心の変化とは―(報告:田上 瑛莉香)
■まさか兄のところで…クリニックに残った時計とカルテ
2021年12月17日、伸子さんが、子どもと一緒に昼食を食べようと注文をした時、あるネットニュースをスマートフォンで目にしました。 「大阪・北新地で火事」 続いて目に入ったのが「診療内科」の見出し。もしかしたらと思い、そのニュースをたどっていくと、兄のクリニックから煙が出ている動画が上がっていました。 まさか…そう思い、義理の姉に連絡すると、「今向かっているところ」と返事が返ってきます。伸子さんはすぐに両親に連絡し、タクシーに飛び乗りました。 現場に着いた時には多くの人が搬送され、兄が無事かどうか、どこにいるのか、救急隊や警察に聞いても分からず、ネットニュースで最新の情報を知る状況でした。 伸子さん「けがはしているけれど、助かっているだろう、大丈夫だろうと願っていました」 午後10時を回ったころ、伸子さんのもとに「兄が亡くなった」と連絡がありました。家族で向かったその道中は、誰かが泣くわけでもなく、ぽつぽつとしゃべるだけで、警察署で再会した兄はただ眠っているかのようでした。 事件からしばらくして、伸子さんは片付けをするため、放火されたクリニックの内部を訪れました。受付は燃えた痕がありましたが、奥の部屋までは至っていませんでした。日々多くの患者と向き合っていた兄の部屋は、一番奥にありました。座っていた真正面の壁にあった時計は、事件が起きた時刻のまま、時を刻むのを止めていました。 伸子さん「焼けたところを見ても、あまり感情を入れないように作業していたんですけど、時計を見た時は立ち尽くしました。この時間を兄は見たのかなとか、あの事件のまま止まったというのをすごく象徴した時計だったような気がしました」 焼け残ったクリニックの中で目にしたのは、たくさんの『カルテ』でした。伸子さんは、兄が多くの心の声に耳を傾けていたことを知りました。