<一貫の春>センバツ・広島新庄 支える人たち/2 郷土の星、見守り続け 野球部後援会長・大畑和憲さん(68) /広島
新鮮な産地直送の野菜などが並ぶ「道の駅舞ロードIC千代田」(北広島町有田)。代表に当たる駅長で広島新庄の卒業生、大畑和憲さん(68)は、母校の選手たちを「北広島町の星」と言う。古里にキラリと光る星たちを支える硬式野球部の後援会長に就き、5年がたとうとしている。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 地元有志が1909年に創立した女学校を前身とする伝統校だけに、卒業生の結束は固い。アマ野球界の名将で知られる迫田守昭監督が2007年に就任すると、野球を愛する地域住民らも巻きこんで後援会を設立する機運は一気に高まった。 大畑さんもその1人で、10年ごろ入会、銀行勤めの経験から当初は会計を担当した。迫田監督のもと、めきめき力をつける郷土の星が頼もしかった。そして14年、会長に就く前年のことだ。広島新庄はセンバツに初出場する。自身の在学時は野球部が硬式への復帰前で、母校の選手たちが甲子園の土を踏むとは夢にも思わなかった。 「田舎の学校が甲子園に出られることになり、町全体が沸き立つようだった」。甲子園の外野を覆う芝がまぶしい緑を放ったその春、スタンドから見守った開会式を忘れない。中林航輝主将(当時)の選手宣誓に全身の血が鳴動した。 それから6年。後援会員の約60人は毎年、集めた会費で購入した用具などをチームに寄贈する。大畑さんは週末の練習に顔を出し、迫田監督と野球談義に花を咲かせることも。「監督の話は守備と投手が中心で、打のことはあまり言わない」といい、堅実な守備と好機を逃さない「新庄野球」が、夏を含めた4度目の甲子園でも開花することを期待する。 「普段通りの野球をやれば、甲子園でもきっと良い結果が出るはず」。この春も再び、応援に駆けつける予定だ。【手呂内朱梨】