教育費を稼ぐため“覚せい剤を売っていた”ことも…日本初の女ヤクザ(58)が今も反省する「2人の息子との関係」
「父のことを尊敬しています」
西村 ほとんど顔を合わせることがないまま、父は56歳で亡くなりました。スパルタ教育はイヤだったけど、今は、「さんざん迷惑をかけてしまって悪かったな」と感じますし、父のことを尊敬しています。 ――ヤクザになってからも、お母様とはちょくちょく会っていたそうですね。 西村 お父さんは厳しいけど、お母さんは優しかったので、お金に困ったときはお小遣いをもらったりしていました(笑)。私の妊娠中は家に来て手助けしてくれて、母としても孫ができるのは嬉しかったようです。 私がヤクザになるとき、お母さんは「娘をお願いします」と事務所に挨拶に来ました。あとで会長のことを「ヤクザでも良い人だね」と褒めていて、この人は何を言っているんだと思ったものです(笑)。 ――ある意味、大物ですね。お母様はお元気ですか?
「気持ち的にはやっと親孝行できた」
西村 もう80代なので、足が弱って耳も遠いし、ボケも入ってきました。今でも母と話すことには話すんですが、やっぱり私は入れ墨も目立つし、近所の目が気になるから実家にあまり帰ってきてほしくないみたいです。 ただ、更生したことは喜んでくれています。「五仁會」(西村が所属するNPO法人)での活動も「今はボランティアやっているんだね。偉いね」と応援してくれました。竹垣悟会長の人柄にも好感を持ったようで、「あの人についていくなら大丈夫」と言っています。だから、気持ち的にはやっと親孝行できた感覚ですね。
原田イチボ@HEW