〈一夫多妻のヒモ男〉妻は4人、子ども10人中8人母親が別…“幼卒”36歳無職男性のモテすぎ人生「働く気はない。ヒモの才能を使わないのはもったいない」最大16人の彼女がいたことも…
「ヒモのハーレムを作りたい」
---子どもたちの親権はどうなっているんですか? それぞれの母親に親権がある状態です。 ---3人の奥さんと一緒に暮らすようになったきっかけは? 「ヒモのハーレムを作りたい」と思ったんですよ。ヒモには「住み込み型」と「出張型」があって、僕は最初「出張型」だったんですが、女性の家を回らないといけないのでけっこう大変なんですよ。 しかも、女性は僕が管理できなくなるといなくなっちゃうので…。だから、だんだんと今の形になってきました。 マッチングアプリで出会った女性に「一緒に暮らそう」「結婚しよう」と声をかけて、家に連れてきて、妻たちをマッチングさせています。今の目標は、あと3人、妻を増やすことです。 もともと僕は小さいときに親が離婚して、母子家庭で育ってきたので、そのときの寂しかった記憶が今でもあって。温かく賑やかな家庭に、ずっと憧れがあったんです。 ---普段、家事の分担はどうしていますか? みんなで分担してやっています。料理は陽咲さん、洗濯は千晴さん、子どもの世話や片づけは彩花さん、掃除は僕がメイン……といった形ですね。僕は綺麗好きなので、家事をするのは全然苦じゃないです。
小学生時代から不登校に。「好きなことをして過ごす生活が魅力的」
---昔から女性にモテたんですか? そうですね。ずっとモテていて、彼女は常にいました。別れても入れ替わりですぐに新しい彼女ができていたので、空きがない状態が続いていましたね。 ---いつから自分はモテると自覚していましたか? 中学1年生のときからですね。 僕は小3までしか学校へ通ってない“幼卒”なんです。小4から不登校で学校へ行ってなかったので、そのころは女の子との交流があまりありませんでした。 中学校に入ったとき、ちょうど親が離婚したタイミングだったので、福島県に引っ越ししたんです。それで環境も変わって、最初に学校に挨拶しに行かなきゃいけない流れができてしまって。 そのときに、女の子たちから「可愛い」と言われて、自分はモテるんだと自覚するようになりました。 ---どうして不登校になったのでしょうか? 風邪で学校を休んだときに、家でテレビゲームをやっていたんです。そのとき、学校に行かず、好きなことをして過ごす生活がすごく魅力的に感じたからです。 それに、1回学校を休むと、授業についていけなくなっちゃうんですよね。勉強も嫌いで、授業に出てもわけがわからないし。授業中に先生に当てられて「こんなのも理解できないのか。お前はバカだ」とクラスメイトの前で笑われたこともありました。そうした状況が、苦痛だったんです。 ---中学・高校時代はどのように過ごされましたか? 中学と高校も、ほぼ行かなかったですね。僕はもともとミュージシャンを目指していて、音楽がやりたかったので、仕事も勉強もしたくなかったんですよ。高校は音楽系の専門学校へ行きたかったんですけど、家が貧しかったので、親に気を遣って「行きたい」って言えなくて。 それで、一応高校受験することになって、入学はしたんですけど、3回くらいしか行かず、退学しました。 ---高校を中退してからは、何をしていたんですか? とにかくいろんなバイトをやりました。引っ越し業者、ホテルの清掃、レストラン、居酒屋、カラオケ、ホスト……20種類くらい経験しましたが、どれも1ヶ月くらいしか続かなかったです。 今思えば、人間関係が合わなかったのかなぁと思います。アルバイトだからコキ使われるし、自分の考えを表現できないような立場が、僕には向いてなかったんだと思います。 ---自分の天職はヒモ、ということでしょうか……? そうですね。スケジュールもルールも全部自分で決めて、好きなように動けるので、けっこう長く続いていますね。23歳でヒモを始めて、今年で13年目になります。 ---今後、働く予定は一切ないのでしょうか? ないですね。僕にはヒモの才能があるから、それを使わないのはもったいないと思うので。 「これまでに一度だけ入籍したことがある」との経験を語る渡部さん。インタビュー後編では、渡部さんの離婚歴や夫人たちとの現在の生活について聞いてみた。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
集英社オンライン編集部ニュース班