【世界卓球】ベンチでの伊藤美誠の見える存在感と渡辺武弘監督の見えない存在
「アドバイスと選手がドハマリした瞬間、伝えてよかったとうれしくなりました」(伊藤)
一方、東京五輪で金・銀・銅、3個のメダルを獲得している伊藤美誠は今大会、2回の出場機会だけに終わったが、特に準決勝、決勝でのベンチワークは光っていた。会場によって、照明、卓球台、床、温度でプレーの条件が変化し、戦術も異なったものになる。自らがプレーしたからこそ、伊藤が的確なアドバイス、戦術的な注意を個々の選手たちに与えた。日本選手の特徴を知り、相手の中国選手は何度も戦った相手だけに、ベンチでもっともベストのアドバイスを送ることができる人だった。 だからこそ日本選手が得点しても、立ち上がることなく、冷静に相手の失点した時の仕草も観察していたのだろう。 かつて金メダリストの水谷隼は「ベンチコーチは応援者でなくてもいい。立ち上がって声を出すよりも冷静なアドバイスをもらいたい」とインタビューで答えたことがある。今回、伊藤美誠はそのことを実践した。 「たくさんアドバイスをさせていただいた。私が出ている大会で今日が一番中国を追い詰めることができた。ベンチにいたけど楽しく試合を見てました。アドバイスをしていても気合が入るというか、監督とかコーチの気持ちがわかる場面もあった。アドバイスと選手がドハマリした瞬間、伝えてよかったとうれしくなりました。私自身も勉強になり、良い経験をさせてもらいました」と試合後に伊藤は語った。 また早田は「伊藤選手のアドバイスで自信を持ってプレーできた」と言い、「ベンチからのアドバイスは力になった」と張本もコメントしている。 伊藤美誠は称賛されるべき存在としてチームの中で輝いていた。トップアスリート、そしてメダリストとして試合に出られないもどかしさ、悔しさはあったはずだ。伊藤が2016年世界選手権クアラルンプール大会に日本代表として登場し、団体戦の中心としてプレーし続け、彼女は常にチームの中心だった。 試合に起用されない選手としてベンチに座って応援することも、ましてや1月までは自分のライバルとしてともに戦ってきた選手にアドバイスを送ることも、彼女にとっては特別なことだった。 日本代表として「中国に勝ちたい」という思いを、今回チームメイトと共有した。自分が試合に起用されなくても、ベンチコーチとして「打倒中国」にエネルギーを向けた。釜山での激闘は、今後も現役を続け、国際大会に出続ける伊藤美誠にとって、代えがたい経験になったのではないか。 そして、伊藤を温かく見つめ、チームを優しく包み込む渡辺監督の存在を忘れてはいけない。自分が前に出ていく、もしくは存在をことさらアピールするような行動を渡辺監督はせずに、選手たちの技量の高さに敬意を払い、彼女たちの卓球への深い知識と経験を活かすように、チームをまとめていった。 中国をあと一歩まで追い詰めた日本。そこにあったのは目に見えない渡辺監督の存在と、目に見える伊藤美誠の存在だった。
今野昇