火野正平さん死去「穏やかな最期でした」 75歳「モテ男」の代名詞
かつてプレイボーイとして一世を風靡した俳優の火野正平さんが14日に死去していたことが、20日に所属事務所から発表された。75歳だった。 【写真】色気がすごい! 50年前の火野正平 事務所ホームページによると「4月より持病の腰痛の治療に励んでおりましたが、夏の腰部骨折を機に体調を崩し最期まで仕事復帰を願っておりましたが叶いませんでした」。その上で「自宅で家族に見守られ穏やかな最期でした」という。 葬儀はすでに家族葬で営まれた。「長らくこのお仕事に携わり関係者の皆様には大変お世話になりました重ねて御礼申し上げます。応援してくださった皆様にも心から感謝申し上げます」とつづると「この訃報にて弊社とご家族からのお知らせとさせていただきどうか静かに見送らせてください」と伝えた。 火野さんについては9月、腰部に圧迫骨折を起こしてしまい、引き続きの治療が必要になったことが明かされていた。これによりNHKBS、BSプレミアム4K「にっぽん縦断 こころ旅」の今年秋の旅への参加もできなくなった。 司馬遼太郎原作の1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」で木下藤吉郎(豊臣秀吉)を演じて脚光を浴びた火野さん。当時24歳。明智光秀を演じた近藤正臣とは現在同じ事務所で、この2人や織田信長を演じた高橋英樹、その妻役の松坂慶子ら若手俳優の活躍が注目されたドラマだった。 私生活ではゴシップも多く、「モテ男」「プレイボーイ」の代名詞的存在だった。
東スポWEB