1981年とは、70年代に息を潜めていた同世代が時代を席巻し始めた年なのだ【1981年の沢田研二①】
【沢田研二の音楽1980-1985】#27 1981年の沢田研二① ◇ ◇ ◇ 【写真】ザ・タイガースの“ピー”こと瞳みのるさん 35歳下の中国人女性と結婚、4歳児のイクメンパパはバンド活動で大忙し 1981年がやって来た。今から43年前は、どんな年だったのか。 この年、もっとも売れたシングルは寺尾聰「ルビーの指環」。もっとも売れたアルバムも寺尾聰「Reflections」。日本レコード大賞も寺尾聰「ルビーの指環」──。そう「寺尾聰の年」だったのだ。 そして、アルバム売り上げで「Reflections」に続く2位は大滝詠一の「A LONG VACATION」。「寺尾聰と大滝詠一の年」とくくれば、当時の記憶がビビッドによみがえってくる人も多いのではないか。 「Reflections」と「A LONG VACATION」。「シティー」と「リゾート」という違いはあれど、ソフィスティケートされたイメージと、丁寧に作り上げられたサウンドという点では共通している。 さらなる大きな共通点は──作詞・松本隆。「Reflections」にも収録された「ルビーの指環」と「A LONG VACATION」のほぼ全曲は松本隆の作詞となる。 つまり81年とは「寺尾聰、大滝詠一、そして松本隆の年」だったのだ。 音楽界を離れると、ビートたけしという名前が浮かび上がる。 元日夜にニッポン放送で始まった「ビートたけしのオールナイトニッポン」は速射砲のようなトークで、それから10年にわたり日本全国に大ブームを巻き起こす。 ビートたけしといえばフジテレビ系「オレたちひょうきん族」もこの年から始まる(なお同番組のキャラクター「タケちゃんマン」の衣装は「TOKIO」のパロディー)。 つまり、前年の漫才ブームからひとり抜け出して、ビートたけしが時代の寵児として駆け抜け始めたのが81年なのだ。 さて、ここで並べた面々、寺尾聰、大滝詠一、松本隆、ビートたけし。加えて沢田研二。共通項があるとしたら、それは「団塊の世代」。 1947年=寺尾聰、ビートたけし、48年=大滝詠一、沢田研二、49年=松本隆。そう、団塊世代、ベビーブーム世代にすっぽり入る5人なのである。 ただ、沢田研二以外の4人は「レートカマー」=30代にしてやっと大爆発したのに対して、沢田研二は20代から「トップランナー」だったという違いはあるけれど。 レートカマーの時代、70年代に息を潜めていた30代が時代を席巻し始めた中で、トップランナー沢田研二は、どんな手口を繰り出したのか。 ▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。