全治半年なのに…1か月で“強制復帰”「戻ってこい」 治らない右肘「ずっと痛かった」
「今でいうとトミー・ジョン手術の対象になるような症状でした」
そんな状況もあって中継ぎからの復帰となったが、9月下旬からは、小松とダブルストッパー体制。10月に4セーブをマークして優勝に貢献した。「そりゃあ、無理していましたから肘は痛かったですよ。痛かったけど、いろいろ工夫しながらね、肘の周りの筋肉を強くして、関節を抑え込むみたいなトレーニングをしたりしてね」。そのままの状態で西武との日本シリーズにも突入。2勝4敗で中日が敗れたが、牛島氏は4試合に登板した。 3番手で登板の第3戦は2回無失点で勝利投手、第4戦ではセーブをマークした。「ラストゲームになった第6戦、ずっと痛み止めの薬を飲んでいたし、もう飲まなくてもいいかなと思って、飲まずに投げたんですよ。そしたら、めっちゃ肘が痛かったです。1点とられたんですよね(4番手で1回1失点)。それからまたトレーナーと相談しながら、肘や関節について勉強するようになりましたね」。 結局、右肘痛は完治しなかったという。「治らなかったですね。3年目に肘を痛めてからは、ずーっと肘が痛かったです。痛くなかった時期はないです。でも、あの時、無理せずに治療して休ませても痛かったと思いますね。今でいうとトミー・ジョン手術の対象になるような症状でしたからね。まだロッテの村田(兆治)さんがトミー・ジョン手術を受ける前のこと。手術なんて考えられませんでしたしね」。 右肘痛と闘うのは普通のこと。牛島氏はそんな状態で4年目の1983年に10勝8敗7セーブ、5年目の1984年には3勝6敗29セーブと成績をアップさせていった。「痛いけど、無理して投げないと、結果を残さないと駄目だったのでね」。リリーフ投手にできるだけ3連投をさせないとか、何もなくても疲労を考慮して休ませるのが当たり前の現在では考えられないことだが、そんな時代をも乗り越えて牛島氏は一流選手への階段を駆け上がっていった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi