京橋駅空襲から70年 地元住民ら犠牲者への冥福祈る
京橋駅空襲から70年 地元住民ら犠牲者への冥福祈る THE PAGE大阪
大阪市城東区の旧国鉄京橋駅に多数の1トン爆弾が落とされ500~600人が犠牲となったとされる「京橋駅空襲」から70年を迎えた14日、JR京橋駅南口近くの高架下にある慰霊碑前で「第61回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われ、当時を知る人や遺族などが手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。
終戦前日に500~600人が京橋駅で犠牲となった
京橋駅慰霊世話人会によると、1945年(昭和20年)年8月14日、アメリカ軍のB29爆撃機が大阪城の敷地内にあった兵器工場「大阪陸軍造兵廠(しょう)」を爆撃。その際、工場からほど近い同駅に数個の1トン爆弾が落とされたという。 その時、天王寺・大阪両駅行きの城東線(現在の環状線)の電車が入線したところだったため、多くの乗客が同駅で降ろされ、その下に位置する片町線のホームへ避難していた。そこへ、1トン爆弾が落とされ、爆弾は城東線ホームを突き抜け片町線ホームで爆発し、そこにいた多くの人たち500~600人の命を奪った。 1947年に京橋駅に慰霊碑が建てられ、1955年から毎年爆撃のあったこの日に慰霊祭が行われるようになり、今年で61回目を迎えた。
通りすがりの人も手を合わせる姿が
慰霊祭には多くの遺族や地元の小学生らが集まり、犠牲となった人たちに祈りをささげた。通りすがりに慰霊碑の前で立ち止まり、手を合わせる人も多かった。参列した近くに住む男性(75)は「今は本当に平和。しかし、ここで多くの人たちが命を失った事実は、若い世代にも知っておいてほしい」と話した。 また、別の70代の女性は「さっき住職も言っていたけど、あと1日たったら終戦だったんですよね。言っても仕方ないかもしれませんが、なんかそれがすごく悔しい、ずっとそう感じています」などと話していた。 慰霊碑は京橋駅南口を出てすぐ右の高架下、同市城東区と都島区の境界付近に位置する。