「蓮舫いじり」あふれ出す東京都知事選…アンチの“罵詈雑言”にみる、辟易するほど劣化しきった日本政治の現在地
■ 誹謗中傷から垣間見える「チェック機能」の軽視 最後に、今なおくすぶる「二重国籍」問題である。もはや言葉を尽くす気も起きないが、これは蓮舫氏の民進党代表時代に散々言い立てられ、蓮舫氏が戸籍謄本の一部を公開してまで対応し、解決したのは周知の事実だ。 そこから7年近くがたっているのに、蒸し返す神経が理解できない。蓮舫氏が現職の参院議員であることからも、何の問題もないのは明らかだ。 以上、これらの誹謗中傷は本来、いずれも完全無視で構わない内容なのだが、筆者があえてこれらに着目するのは、いつまでもこんな意味のない誹謗中傷にすがる、この国の政治のありようが、ここから垣間見えるからである。 第一の「無所属出馬批判」だが、逆に政党公認の首長がいるのはどこかと言えば、代表的なのが地域政党「大阪維新の会」公認の首長が続いている大阪府や大阪市だ。 これらの自治体では維新公認首長のもと、議員の存在が「無駄」だと言わんばかりに、議会の大幅な定数削減が進められた。その結果として、議会が首長の政策をチェックする二元代表制の機能が大きく損なわれている。 こうした政治を「行政がトップダウンでスピード感を持ち政策を進める政治」ともてはやす風潮が、平成の時代には国政、地方政治を問わず日本を覆っていた。首相や首長のリーダーシップばかりが求められ、チェック機能や監視機能という存在は「抵抗勢力」として疎んじられた。 蓮舫氏への誹謗中傷は、あるいは単に「立憲の看板には魅力がない」と当てこする程度のものだったかもしれないが、背景には、世間にはこのような「効率優先の政治」を良しとする空気があり、蓮舫氏を叩いても一定の理解を得られる――というもくろみがあったのではないか。
■ 「蓮舫いじり」は日本政治を腐らせている元凶だ 第二の「ボーナス受給批判」にも似たような「におい」を感じる。 自民党の小泉政権や菅義偉政権、日本維新の会の政治に特に顕著な「身を切る改革」の政治は、平成の時代の日本を席巻した。国会議員に渡されるささやかな公費をすべからく「悪」とみなし、片っ端から「身を切る」ことが、あたかも「正しい政治」であるかのように喧伝された。 若手など資金力のない政治家が、日常の政治活動にかかる普通のお金にも四苦八苦するのを横目に、私たちはごく最近まで、自民党政治家による巨額の裏金づくりを、平気で見過ごしてきた。 そして第三の二重国籍問題である。 こんなことを今の時代に決して言いたくはないが、結局は女性やミックスルーツの方々といった、社会的に弱い立場の人間をそのままの立場にとどめておきたい、つまり「社会の片隅で申し訳なさそうに生きていてほしい」という「マッチョな男たち」の身勝手な願望が、結局はいつまでもこの問題をおもちゃにしていたい、という欲求につながっているのではないか。 これらはすべて、社会の価値観の変化に追いつけず、むしろ変化を押しとどめようとして日本の政治を腐らせている元凶だと考える。 独裁的で権威主義的な政治が確かな政策遂行につながらないことは、大阪万博が証明している。公的なものを切り捨てる政治は、コロナ禍などの非常事態にもろさを露呈した。多様性を認めない価値観に社会がNOを突きつけ、企業などが即座に対応を迫られることは、政治以外のジャンルでは日常茶飯事だ。 そういう時代に政治がついて行けていない。 今回の「蓮舫いじり」には、ネット上で「#蓮舫パニックおじさん」などというハッシュタグがつき、失笑を買っている。 あのような誹謗中傷と、それを許してきた政治は、もはや時代に完全に置いて行かれていることを、そろそろ認識すべきではないのか。
尾中 香尚里