怪作ばかりが大集合〈奇想天外映画祭2024〉開催決定 スタンバーグ生誕130年記念の特別上映も
2019年より開催されて以来、この世の映画好事家を驚かせる作品を次々と上映してきた〈奇想天外映画祭〉の第6回目が、東京・新宿K'scinemaにて9月14日(土)~10月4日(金)の3週間開催されることが決定。あわせて、本映画祭の推薦人、映画評論家の柳下毅一郎のコメントも公開されています。 今回の目玉作品は、カルト・ヴァイオレンスの傑作『ワイルド・ボーイ』と、マルコ・フェレーリ監督が快楽地獄を描いた怪作『最後の晩餐』。特別上映としては、“ジョセフ・フオン・スタンバーグ”生誕130年記念として、マレーネ・ディートリッヒ主演による『間諜X27』(1931)、『スペイン狂想曲』(1934)の2本を35mmフィルム上映。そのほか、数々の珍作、奇作が例年にも増して届いています。 『ダーティハリー』『地獄の黙示録』などの作品の脚本家として評価を得ていたジョン・ミリアスの監督デビュー作にして伝説のギャン グ、ジョン・デリンジャーの半生を描いた『デリンジャー』(1973)、メキシコ映画界の巨人アルトゥーロ・リプスタインが描いたメキシコ版もう一つの『ハネムーン・キラーズ』こと『深紅の愛/ディープ・クリムゾン』(1996)、“60年代をテーマにした最初の傑出した作品”と評されたジョン・セイルズのデビュー作『セコーカス・セブン』(1980)、少年院を脱走してとある裕福な農家に転がり込んだ“天性の悪女”スサーナが家族を崩壊させていくシュールなブニュエル流ノワール『スサーナ』(1950)、ブラジル北東部バイーアの漁村に生きる土着の人々を描いたグラウベル・ローシャの長編デビュー作『バラベント』(1962)、マイルス・デイヴィスが65年の生涯の中で唯一、本格的な演技を披露したことで知られるジャズ映画『ディンゴ』(1984)ほか、『デスゲーム/ジェシカの逆襲』(1986)、『ザ・ラスト・ウェーブ』(1977)、『チャタレイ夫人の恋人』(1993)と奇傑作が集結。 そして、特別上映“ジョセフ・フオン・スタンバーグ”生誕130年記念35mmフィルム上映では、マレーネ・ディートリッヒとの7本のコンビ作品(『嘆きの天使』『モロッコ』『上海特急』など)でハリウッド映画史にその名を刻んだスタンバーグの代表作2本が上映されるほか、さらに〈奇想天外映画祭 2023〉のアンコール上映として『デコーダー』(1984)も上映されます。 日程など、詳細はK'scinemaのホームページをご確認ください。 [コメント] 奇想天外映画祭は映画史の行間からすべり落ちてしまった映画たちを拾いあげる。傑作と名作、ヒット作が映画史を作りあげていくとすれば、そこにおさまらなかった映画たちはなんなのだろう? 名作として映画史に名を残すことができなかった映画は、すべて忘れ去られるべき駄作となってしまうのだろうか?出来の良し悪しだけで判断するなら、いびつに歪んだ映画は間違いなく駄目なほうに判定されるのだろう。だが、規格からはずれ、評価軸からはずれた映画というのはそれだけでひとつの価値だと言える。万人向きからは程遠かろうと、たったひとつでも、並外れて特別なポイントがあれば、それは記憶されるに足るだろう。映画の正史に残ることはないかもしれないが、その奇妙さによって忘れられない存在となった映画。それはミッドナイト・ムービーと、あるいはカルト映画としてひそかに伝えられてゆくだけなのかもしれない。いわば映画の伏流、地下水脈としてひそやかに流れてゆく。それが突然噴出したのが奇想天外映画祭なのだと言えようか。 たとえば『ワイルド・ボーイ』はこれ一本しか監督作品のないロバート・マーティン・キャロルによる砂漠シュルレアリスム暴力映画とでも言うべきワン・アンド・オンリーの怪作だ。ニューメキシコの田舎町を暴力で支配するボスの妻を女装したデヴィッド・キャラダインが演じる。キャラダインは女装者ではなく完全に女性として演じており、不思議な哀感は、彼の最高傑作とする声もあるほどだ。 『デスゲーム/ジェシカの逆襲』は密猟者と若い女性との戦いを描くが、復讐物というジャンルにおさまりが悪いのは、密猟者たちが妙に狂騒的で、『マッドマックス』風味を感じさせてくれるからかもしれない。ハリウッドから遠く離れたオーストラリア大陸は、ハリウッド的映画文法にとらわれない奇想天外映画の宝庫であり、今回はピーター・ウイアーの『ザ・ラスト・ウェーヴ』が上映される。 サスペンス・ミステリーを装いながら、現代人が捨てたつもりでいる霊性に復讐されるさまを描く。霊性の復活をホラーとして描くのが出色である。オーストラリア映画ではマイルス・デイヴィスが出演するジャズ・ドラマ『ディンゴ』も注目だ。 マルコ・フェレーリの『最後の晩餐』は生きることに絶望した四人の男性が人間の欲望の限りを尽くして死んでいこうと示し合わせ、豪華極まりない「最後の晩餐」を催すという筋立てで、ブルジョワの醜さがこれでもかと執拗に追求される。ほどよい「皮肉」に止めず、徹底して掘り下げたがゆえにこれは名作ではなく怪作扱いされることになったのだが、それこそがフェレーリの素晴らしさである。 他にも見るべき映画は数多い。奇想天外は玉石混交だ。何が出てくるかわからないから奇想天外なのであり、その中から「玉」を見つけるのはあなた自身の仕事なのだ。 ――柳下毅一郎(映画評論家)