ISの性奴隷にされた女性たちが証言する、想像を絶する「地獄」
組織的な「女の市場」
それにしても、ISはどうやって人を奴隷にしていたのか。ISは女性捕虜をどう取り扱っていたのか。まず話はそこからだ。 ISに奴隷市場があったのは事実だ。それは殺されてしまった被害者も、生きて帰ってこられた被害者も経験した現実だった。メディアもそれを目撃し、確認している。そもそもISの機関が、ジハードに参戦する人を集めるために、この奴隷市場の存在をプロパガンダの前面に押し出していたところすらあった。 前出の2本のドキュメンタリー番組では、生還者の一人サラブ・ナイフ・イサが、自分の「主人」だった男の携帯電話をのぞけた日のことを語っている。その男がある日、携帯電話を家に置き忘れたのだ(彼女は何人かの「所有者」の手を転々としたが、この男はその最後の一人だった)。 「ワッツアップにスーク・エニサ(女の市場)というグループがあり、そこに女性たちの写真一覧が値段とともに出ていました」 「顧客」たちは、女性を選んで買いのオファーを出した後、女性捕虜が集められているシリアの農場に行き、実際の商品を確認する仕組みになっていた。 IS崩壊後に見つかった文書によれば、この女性を売買する市場は、過剰といっていいほど利用されていたので、ムフティー(高位のイスラム法学者)が介入して市場を規制する事態に至ったこともあったようだ。 また、「主人による性奴隷の酷使」が発覚した後、イスラム法の規定がもう一度念押しされた。性奴隷の酷使とは具体的には、前述した「浄め」の期間として月経を1回見送ってから利用を開始するという規定や、女性とその娘の両方と性交してはいけないという規定が守られていないといったことだった。 この女性を売買する市場が最盛期を迎えたのは2014年8月、シンジャールがISの手に落ちたときだった。生還者全員が、シンジャールの陥落とともに、自分たちの運命が暗転したと口を揃えて証言している。
家族と引き離されて売られる
アシュワク・ハジ・ハミドは、ISからの生還者の一人だ。顔は丸く、端正な顔立ちで、髪は黒く、強いまなざしの持ち主だ。誇り高い女性のオーラ、意志の力強さが感じられる。 彼女がISに囚われていた期間は約3ヵ月だった。拉致されたのは2014年8月、シンジャールで大虐殺が起きた運命の夜のことだ。ISから逃げ出す前、自分と一緒に拉致された妹と従妹をずいぶん探したが、手がかりは見つからなかった。消えた二人の少女の名前はリハムとラハだった。 アシュワクは言う。「(シンジャールとその周辺地域が陥落すると)たくさんの若い女性や少女が捕虜になりました。私たちはみな互いに引き離され、妹と従妹は別の場所に連れていかれました」 その日以来、アシュワクが二人の姿を見たり、二人の名前を耳にしたりすることはなかった。ところが、前出のアルアラビーヤの番組でアル=バグダディの第一夫人の証言が放送されると、事態が一変した。 アシュワクは言う。「あの日、あちこちから電話がかかってきて、カリフの妻がアル=バグダディのハーレムに二人がいたと認めたと教えてくれました」 実際、番組ではハーレムがあったかどうかを尋ねる質問に対し、アル=バグダディのお気に入りの妻は次のようにのらりくらりと質問をかわしながら言っていた。 「私たちのところに数日しかいなかった人も何人かいました。いちばん長くいた子はリハムという名前でした。ほかのヤジディ教徒のことは、わかりません。アル=バグダディが彼女たちに何をしていたのか、どこから連れてきたのかも知りません」 親族にとって、2024年2月のこのインタビューが放送されるまで、リハムは行方不明者だった。アシュワクは言う。 「リハムがあのアル=バグダディのところに囚われていたとは、あの男の妻がテレビに出てくるまで思いもよりませんでした」 その日を境に、再び希望が生まれた。だが、希望とともに、苦しみや痛み、絶望するのではないかという不安も生じた。アシュワクの怒りは底知れなかった。カリフの妻が、まるで何も知らなかったかのように振舞うのが許せなかった。 「あの女は、夫が私たちをレイプし、転売するのを容認していたわけですからね」(続く) 第2回では、もし「所有者」が死んでも「転売」されるだけだと知り、命がけの逃亡を図った経験が語られる。そして、亡命した先のドイツの街頭で被害者が偶然出くわしたのはなんと、のうのうと生きる元「所有者」だった。
Kamel Daoud