松村北斗、パニック障害を抱える役の見せ方を意識「俳優ではないからこそ、頭で考えないで演じる」<夜明けのすべて>
瀬尾まいこの小説「夜明けのすべて」が映画化されることが決定し、2月9日より全国で上映される。第74回ベルリン国際映画祭「フォーラム部門」に正式出品が決定している本作は、パニック障害とPMS(月経前症候群)を抱えた者同士が、少しずつ互いの殻を溶かし合っていくさまを描いた物語。パニック障害を抱え、さまざまなことにやる気がなさそうに見える山添くんを松村北斗が、月に1度、PMSでイライラが抑えられなくなる藤沢さんを上白石萌音が演じている。今回は主演の1人・松村北斗にインタビュー。2021年に放送されたNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じた上白石と、今回はどのように“同士”としての関係性に気づいたのかなど、撮影中のエピソードを語ってもらった。 【写真】上白石萌音“藤沢さん”が、松村北斗“山添くん”の散髪を手伝う ■立ち回り方を意識しました ――今回、松村さんが演じた山添くんはパニック障害を抱えている役です。事前にどのような準備をされましたか? パニック障害というものに対して一般的な知識しかなかったので、とにかくいろんなことを探って、当人に近づいていこうと思いました。それで、SNSで発信されている方の投稿を探してチェックしたんです。当事者の方やその家族、友達、お医者さん…探してみると発信されている方がたくさんいましたね。ひと昔前だったら、当人の生の言葉って、こんなに手軽に手に入れられなかったよなと思いました。 それから、撮影が迫ったタイミングで監督の三宅さんから「みんなで共通して、これを持ちましょう」と資料をいただいて。それを見て、山添くんをどう作っていくかを定めました。ちょっと大げさに言うと、一般的認知はあまりに浅いし、間違っているとまでは言わないけど、まだまだ難しいところがあるなって思いながら、いろいろ調べてましたね。 ――実際に、当事者の方たちの投稿を見て、どう思いましたか? まず思ったのは、人それぞれ症状が細かく違って、それに対する思いも違うなということです。「パニック障害です」と言われて「あぁ」と理解することはできないなって。参考にする人によって全く異なるなと思いました。 ――当事者の方がいるからこそ誤解を与えてはならないとか、恐怖に思うことはありましたか? ありましたね。だからこそ意識したのは「見せ物にしてない」ということ。原作を読んだ時に、自分の中でパニック障害を抱えている男の子、PMSを抱えている女性、もっと身近なことで言うと水虫を抱えているおじいさん、腰痛がある人…そういう人たちが住む街の暮らしと、生活を飛び越えていない作風が誰かを傷つけたり、間違った扱い方をしたりする作品ではないと思えたんです。 だから、自分がパニック障害を抱えた男性を演じるにあたって、パニック障害というものをこの作品のおもしろみであったりとか、強み、見せ物にするような立ち回り方は絶対にやめようと。この世界のどこかにいる「山添」という青年の生活をやるだけにしよう。そうすることが、1つの礼儀と誠意かなと思い、挑みました。 ■俳優ではないからこそ、頭で考えないで演じる ――松村さんが演じた山添くんは、とても身近で実在する人物のように思えました。ご自身の中に、どのように役を落とし込んでいきましたか? 先ほど言ったことにも通じるのですが、役を「見せものにしない」ということを意識しました。この映画に限らず、お芝居の仕事をする中で、そもそも僕は俳優ではなくアイドルとして活動しているので、真正面から向かい合って技術を高めたり知識・感覚を高めていくには、どうしても割く時間が少なくて、技術や知識がないなと感じることが多々あります。 そんなルーツを持った、俳優ではない人間が、お芝居をするおもしろさって、あざとさとか、変にかっこつけて「ここで見せ場で、ここで感動させる」とかを考えずに気持ちで寄り添っていけるかだと思うんですよね。そういう思いで挑んだので、それが実在感みたいなものに繋がったのかもしれません。 もちろん、三宅さんの撮り方、全員をその街の住民にするような不思議な力も相まってのことだとも思います。あざとさをなくせばなくすほど、さっきまでそこを歩いていた人になれるような感覚。そこになじもうと心がけました。 ――引きのカットも作用したのかもしれませんね。 そんな気がします。三宅さんは「最初からツーショットと引きを多用しようというつもりではなかった」「ただふたりを撮ってみたら、今どこにいて、どういう状況でって全部見えてふたりの意味がわかる」っておっしゃっていましたがね。 撮られているからここにいるのではなく、ふたりの会話が成立する場所にいるところを撮られたという感覚に近かったですし、実在しそうな山添くんになれたのは、三宅さんのおかげだと思います。 ――この映画、三宅監督との撮影を経て、何か変わったことはありますか? 「自分でなんとかしなきゃな」って思うところが多々あって、頑張ろうとしてしまうんですけど、もっとまわりに助けられていることとか、周りからの影響を受けて突き動かされていることを、もっと頼ってもいいのかなと感じました。周りからの影響を自然と受け取って、自然と返すぐらいの気持ちの余裕があってもいいのかもしれないなと。 今回で言うと、クランクイン前に、この作品のムードを表現した三宅さんなりの音楽のプレイリストを作ってくださって、それがすごく自分の中でフィットしたんですよね。実際的な感覚とか気持ちだけじゃなくて、1つのやり方として、かなりハマりましたね。 ■朝ドラでは夫婦役、上白石との共演が本作に与えた影響 ――過去に夫婦役で共演したことのある上白石さんとの再タッグです。自然な掛け合いが印象的に感じましたが、過去に培ったものがあるからなのでしょうか? あると思いましたし、上白石さんも「それが大きく作用したんじゃないか」っておっしゃっていました。考えてみれば、夫婦で最終的には死別してというのはあくまでも役の話であって、根拠も本人同士の繋がりも絆も別にないんですよね。でも、不思議な縁の濃さはあるなと今回感じました。 この作品で再会したときも、すでにお互い役のモードに入っていて、カメラが回っていなくても会話のトーンが劇中の2人と重なっていましたから。いい意味で、あと腐れがなく、すごい盛り上がるけど、まだずっと喋って盛り上がりたいかっていったらそうじゃない。盛り上がった、楽しかった、はい、みたいな関係性が心地よかったです。 ――山添くんと藤沢さんが、お互いを信頼しつつも恋愛に発展しない関係性が非常に良いなと思い拝見していました。恋愛っぽくみえないように意識したことはありますか? 僕も上白石さんも意識したポイントではあるんですけど、やはり三宅さんの力がすごかったなと思いました。例えば、山添くんの部屋に夜長いこと一緒にいるシーンって、どうしてもそう見えかねないじゃないですか。当人たちは、本当になんの意識をしていなくてもちゃかそうと思えばちゃかせてしまう距離感というか。だからこそ、もうちょっと離したらどうなるか、逆にもうちょっと近づいたらどうかと細かくシミュレーションして撮影しました。 ――なるほど。特に印象的だったシーンはありますか? ポテチを最後にガアーって食べるシーンですかね。あのシーンも、どこで食べるのが1番いやらしくないかというのを何回も試行錯誤して「映画を見た人はどう思うか」ということを大事にされていました。「この瞬間もあったかもしれないけど、その前後にあった、この距離感の瞬間を撮りましょう」みたいなことも多くて。今回の絶妙な距離感は、三宅さんのチューニングあってこそだと思います。 ■「いい人生だった」と思えるようになった理由 ――松村さんが、完成品を見ての感想を「生きづらさを描きながらも気持ちいい話だと思った」とコメントされていたのが印象的でした。具体的に、どういうところが気持ちいいと感じたのでしょう? 生きづらい世界が前提の入口のような気がするんですけど、気持ちいい世界の中で生きづらさを感じていただけだと気づくような感じ。別に生きづらい世界でも、しょうもない世界でもなくて、キレイな世界なんだけど、誰しも生きづらさがあるというだけだなと。そこに気持ち良さを感じました。 それぞれ深刻なことがあったり、そういう人たちがいる映画なのに、きっと人生においては温かいこと素敵なことのほうが多いんだろうなって思わせてくれるような。人と人の間って、瞬間的に終わるかもしれないけど“温かさ”を渡し合っているんだろうなって気付けるような温かい街の話なんだろうなと。 だから、自分の人生の振り返り方とかもちょっと変わりましたね、かなりいい人生だったんじゃないかなって、はっきりと思えるようになりました。 ――原作にはないオリジナル要素もありましたが、その辺りの違いで素敵だと感じたことはありますか? 違いというよりは、映画を見終わった後と、原作を読み終わった後に受け取るものが一緒なことがいいなと思いました。これはもう空想の話になってしまうのですが、三宅さんは実写というものの捉え方がきっと、その世界を「まま」お届けすることなんだろうなと。決して一言一句、一挙手一投足同じではなくとも、あの小説から得た印象を受け取るんだなって。 すごい小さな街のふたりの話を宇宙まで飛ばすことによって、すごくちっぽけでかわいらしいものにも見えるし、空を見上げたらこの街が宇宙の一部に感じられる壮大な映画でもある。この映画を見ていると、何度も遠くに行ったり、近くに行ったりするので、奥行きがあるなと感じました。それはオリジナル要素があったからこそだなと。 ――最後に、この映画を通じて届けたいことを教えてください。 個人的には、山添くんの「助けられることはある」っていうセリフから、自分の息苦しさってものを拭いたい、他の人のことなんて考えてられない一方で、どこかで誰かと助け合えるんじゃないかっていう希望感や、誰かのことを助けられることがあるって気づけました。 山添くんと藤沢さんもそういうことが、ずっと自分のなかで堂々巡りしていて。でも、そこから助け合えることに気づいたときに、どんどんいろんなものが違う巡り方をして、最終的にある程度のことは浄化されていったのかなと。それがもっと大きくなって、どんどんどんどん引いていったら、宇宙であったり星までいくような、すごくちっぽけだけど、でっかい話だなと思いました。ぜひ映画館で見ていただきたいです。 取材・文=於ありさ ■【動画】「夜明けのすべて」予告映像