中東戦争が“生んだ”ミニとゴルフ もたらされたFF車「革命」
莫大な戦費負担と弱体化した通貨
計画は綿密に組み上げられ、エジプトは連戦連敗で窮地に追い込まれた。英仏が書いたシナリオ通り、イスラエルを傀儡に再度スエズ運河の利権を英仏が奪還するのはもはや目前というところで横槍が入った。英国が「血は水よりも濃い」と言い習わし、その一心同体を硬く信じていた同じアングロサクソン国家の米国が、ソ連、国連と連名で英仏とイスラエルに即時全面撤退の勧告を出してきた。想定外もいいところだった。 さらに英国が戦費を賄うためにIMFを通じて米国から借り入れていた資金を引き上げると脅されて、第二次大戦の戦勝国でありながら経済疲弊から立ち直っていなかった英国は進退極まった。英国にしてみれば、借り入れというのは建前で、NATO諸国のために火中の栗を拾った褒賞として、米国が債権放棄してくれるものと見込んでいたからだ。 産業革命以来、世界の盟主として君臨してきた英国は、1920年代に米国にその座を奪われ、ジリジリとその地位を低下させてきた。その弱体化がこの撤退で象徴的に衆目の下に晒され、誰の目にも英国がもはや米国と競合できないことが決定的になった。英国ポンドは40%近い大暴落をする。謀略を巡らし、血を流し、戦費を費やして得るものは何もなく、莫大な戦費負担と弱体化した通貨だけが残った。 加えて、辛くも政治的に勝利したエジプトにアラブ世界は沸き立った。アラブの国が英仏というスーパーパワーに対抗できることを証明してみせたエジプトはアラブ世界で大きなプレゼンスを築き、アラブ諸国は続々と欧米の支配から脱していくことになるのだ。それは同時に第一次中東戦争から始まったアラブとイスラエルの対立を一層激化させることにも繋がった。 英国は致命的なしっぺ返しを食らう。ポンド安と原油価格の暴騰によって英国経済が大打撃を受けるのだ。このスエズ動乱の大失策により「日が沈まない国」として繁栄を極めた大英帝国の衰亡が決定づけられる。何よりも西側諸国の代表のつもりでライフラインを確保しようとしたにも関わらず、米国に見限られたことが大きかった。旧宗主国の驕りは木っ端微塵に砕け散り、英国の時代が完全に終わったのである。