なぜ獲ったの…。浦和レッズ、謎すぎた歴代外国人選手6人。問題児、ホームシック…理由は様々
1993年に開幕したJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。見事な活躍をしてクラブの目標達成や発展に貢献した助っ人がいるが、期待に応えられず、ほとんどピッチに立つことなく日本を去った選手も少なくない。今回は、浦和レッズで活躍できなかった外国籍選手を6人紹介する。※成績は浦和レッズ在籍時のもの。
DF:アルパイ・オザラン(元トルコ代表) 生年月日:1973年5月29日 在籍期間:2004年7月~2005年5月 Jリーグ成績:13試合0得点1アシスト アルパイ・オザランは、2004年夏に浦和レッズに加入したトルコ人センターバックだ。この年のJ1・2ndステージ優勝に貢献したが、期待された活躍はできなかったと言える。 身長188cm・体重83kgの巨体を活かした対人守備で圧倒的な強さを誇ったアルパイは、ベシクタシュなどで活躍したあと、イングランドのアストン・ヴィラでもプレーした。トルコ代表でも守備の中心選手として身体を張り、ヨーロッパでも高い評価を受けている。 30歳を過ぎてアジアに活躍の場を移したアルパイは、2004シーズン途中に韓国の仁川ユナイテッドFCから浦和に加入した。田中マルクス闘莉王らと強固な守備を形成して相手の攻撃を跳ね返している。 しかし、2005シーズン開幕戦・鹿島アントラーズ戦で鈴木隆行に対する暴行で退場となると、ここから歯車が狂ったようで、出場停止処分明けの第3節・大分トリニータ戦では開始3分に警告を提示されると、判定に不満を示して2度目の警告で退場となり、試合を台無しにしてしまった。その後はほとんど出番がなく、5月に契約解除が発表され、日本でのキャリアを終えている。
MF:ウーベ・ラーン(元西ドイツ代表) 生年月日:1962年5月21日 在籍期間:1993年7月~1994年7月 Jリーグ成績:7試合1得点 ウーベ・ラーンは、18歳だった1980年にボルシア・メンヒェングラートバッハでプロデビューを飾り、1984年に西ドイツ代表デビューを果たした。1986/87シーズンはブンデスリーガ得点王になるなど活躍し、Jリーグが発足した1993年に浦和レッズに加入している。 FW、MF、DFとあらゆるポジションをこなせるラーンは、浦和で主に攻撃的MFを務めたが、Jリーグデビュー戦となった9月のヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)戦は0-6で大敗。2戦目の名古屋グランパス戦も0-5という結果で、悲惨なスタートとなった。続くジェフ市原(ジェフユナイテッド千葉)戦ではPKを決めて初得点を挙げたものの、なかなか勢いに乗ることはできず。その後はセンターバックでもプレーしたが、下位に低迷するチームを劇的に改善することはできなかった。 浦和は1994年にギド・ブッフバルトらが加入した。これに伴って外国人枠の関係もあってラーンの出場機会は激減し、夏に退団が決まった。