日本海軍「最強戦闘機」の展示館が一新へ! 国内に1機だけの激レア機を保存 完成はいつ?
「紫電改展示館」来年度から建て替えへ
旧日本海軍の戦闘機「紫電改」を国内で唯一展示する「紫電改展示館」が生まれ変わります。愛媛県は2024年10月、新たな展示館の最終計画を示し、完成イメージも公開しました。 【画像】おお!これが新しい「紫電改展示館」の完成イメージです この「紫電改展示館」は、愛媛県南宇和郡愛南町の「南レク馬瀬山公園」にありますが、来園者が減少しており、1980年に開館した展示館も老朽化が進んでいます。そのため、公園再整備の一環として展示館が建替えられます。今後、新たな展示館の建屋は来年度に着工し、2026年度に完成する予定です。 「紫電改展示館」に展示されている機体は、1978(昭和53)年11月に愛南町・久良湾の海底で発見され、翌年7月に引き揚げられました。機体は原型こそ留めていたものの各所が破損しており、展示にあたっては、「紫電改」を開発・製造した新明和工業(旧川西航空機)によって補修と防錆塗装が施されています。現在は、機体が発見された久良湾に機首を向ける形で展示されています。 「紫電改」は現在、世界で4機しか現存しません。この愛南町のもの以外、すべてアメリカ本土で展示されているため、そういった意味でも同機は技術遺産、歴史遺産、双方の観点から貴重な機体です。 県が明らかにした新たな展示館の計画案によると、建物は三角形で、2階建てとなる見込み。2階に入り口を設け、1階に紫電改の展示エリアを設ける方針です。展示館の設計コンセプトとして「紫電改がかつて飛んでいた空、引き揚げられた実機、発見場所となった久良湾、これらを同時に見せること」を重視して計画したとしています。また、駐車場やアクセス道路を整備して大型バスを乗り入れ可能にすることで、修学旅行生などの受け入れも可能にする模様です。
そもそも「紫電改」ってどんな戦闘機?
「紫電改」は、基地の防空などを担当する「局地戦闘機」として開発されました。水上戦闘機として開発された「強風」からフロート(浮舟)などを取り去り、陸上機に改めた「紫電」を、さらに大幅に改良した機体で、太平洋戦争中の1942年12月27日に初飛行しています 。 ベースとなった「紫電」は、原型といえる「強風」とそれほど機体構造を変えていなかったため、胴体中央部に主翼が取り付けられている中翼構造であり、陸上機として効率的な機体構造になっておらず、トラブルが多発していました。そのため、「紫電改」は胴体下部に主翼を設ける低翼構造に変更。機体も「紫電」よりスリム化し、量産性を考慮して部品点数を大幅に削減するなど、別ものと言えるほど手が加えられています。 「紫電改」は1万機以上が生産された「零戦(零式艦上戦闘機)」と異なり、生産機数は約400機にとどまっています。その多くは松山基地を拠点とした第343海軍航空隊に集中配備され、西日本などに飛来した米軍機の迎撃戦に投入されました。 日本軍が実戦に投入できた数少ない2000馬力級戦闘機で、所定の性能を発揮できれば、当時アメリカ海軍が主力としていたF6F「ヘルキャット」やF4U「コルセア」といった機体にも対抗可能でした。日本海軍は「紫電改」に大きな期待をかけており、戦争末期には大量生産計画を立てますが、途中で終戦となっています。
乗りものニュース編集部