宮川大助・花子 闘病記「なにわ介護男子」出版
夫婦漫才の宮川大助(74)花子(69)が、闘病記「なにわ介護男子」(主婦の友社)を出版した。 【写真】車いすで宮川大助・花子が5年ぶりNGKで漫才 闘病記としては2冊目。19年1月に花子が多発性骨髄腫と診断されてから、大助による介護が主に描かれている。病気はつらい。介護はしんどい。そんなことは当たり前で、それでも大助、花子は「夫婦で笑顔を忘れることなく頑張りました」と新著について明るく語った。 ◇ ◇ ◇ 48年連れ添った夫婦でも、おしめの交換はつらい。69歳の花子を風呂に入れるのもひと苦労。自力では歩けないから、移動は車いす。そのすべてが74歳の大助にかかってくる。 「女房は宝ものですから。いてくれないと困るんですよ」。妻への愛情を語る大助も腰に持病を持ち、体調は万全ではない。75歳の誕生日を前に運転免許更新の講習に行ったところ「きょうは何年何月何日ですか?」と問われ、即答できなかった。老老介護。 漫才同様、口は花子が達者。「同じ闘病するなら楽しく明るくいきたい。生きてるだけで丸もうけ、と言いますが、それは健康あってこその言葉。ただ私たちには漫才があるので、漫才で笑顔と笑いを皆さんに届けます」と前向きだ。 「なにわ介護男子」の帯には、俳優佐野史郎(69)のメッセージ。そこには「おもしろがれば乗り越えられる!」とある。佐野も花子と同じ多発性骨髄腫と向き合っている同志だ。 「おもしろがれば…。そうや、そうなんや! と気づきました。苦しいのより、おもしろいのがいい」と花子は大助に感謝しつつ、とにかくポジティブな姿勢を崩さない。大助も「闘病記なのに、なんでこんなに明るいんですか、と言われています」と笑う。 懸命にリハビリに取り組んではいるが、決して安心できるものではない。5月後半には体調を崩した花子が救急搬送され、意識が戻ると病院のベッドだった。ただ、強靱(きょうじん)な精神力は健在で、退院から1週間後にはNHK「上方演芸会」の収録で漫才を披露した。 花子は「あのときは誰よりも受けてたのと違うかな? せっかくいただいた命なんやから、できる限り漫才はやりたい」と言う。 大助も、また精神面では花子に支えられている。「元気なうちは、なんぼでも介護だってできます。ただ夫婦で年齢を重ねて、互いに支えが必要になりました。これからが本当の夫婦なんだ、と。高齢者の仲間とともに、愛と希望をもって次世代に橋渡ししたい」。 次のステップは、2人して闘病記を手に、全国の書店を回ること。「今ならできるはず。古希(70歳)になるし、ぜひツアーで回りたい」と花子は言う。 花子が多発性骨髄腫と診断されたのは19年1月。6月に緊急入院し「余命1週間」と主治医。抗がん剤治療を始めた。自力で立つことも困難ながら「もう1度、NGK(なんばグランド花月)で漫才を」と、リハビリに励み、同12月に記者会見し、病気を公表した。 20年4月に退院。22年1月に、闘病記「あわてず、あせらず、あきらめず」を出版。同4月3日、吉本興業110周年特別公演で約3年ぶりに、NGK出演。同10月、一時心肺停止に陥る危機も奇跡のV字回復で、23年5月1日にはNGK地下のYESシアターで4年ぶり漫才、同9日にはNGKの舞台で復帰を飾った。病気を公表した後、続く闘病にも「100戦100勝でいきます」と宣言した通り、すべてを笑いに代えて前へ進む。【三宅敏】 ◆宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ) 大助は1949年(昭24)10月3日生まれ、鳥取県出身。花子は54年8月28日生まれ、大阪府出身。宮川左近の弟子だった大助と、チャンバラトリオの弟子だった花子は75年7月に出会い、76年に結婚。78年3月、長女さゆみ誕生。79年夫婦での漫才コンビ結成。80年のNHK上方漫才コンテスト優秀努力賞以降、数々の受賞に輝く。87、90年には上方漫才大賞。17年(平29)紫綬褒章。