地方都市でこそジャズ 40周年迎えた仙台のサックス奏者
しかし、安田さんが仙台や山形などの地方都市に徹底してこだわり、地元のプレイヤーたちとの関係を何よりも大切にする姿は、ジャズ音楽を育む環境そのものを、疑似東京ではない、個性的なものにしているように見えます。東京圏に比べて狭い分だけ、関係が濃密で、時としてあつれきに結びつくこともありそうですが、それも含めて、独創的と呼ぶ以外にありません。 「(若い人たちに対して)譲れないものはやはり譲れません。嘘をつくな、時間を守れ、といった事柄について、俺らの世代が譲ってしまったらすべてダメになります。たとえ、何らかの理由で関係がいったん切れてしまっても、その後のことの方が大切です。しっかりやってくれていればそれでいい。幸いなことにどこで演奏してもジャズはジャズであり、若いミュージシャンたちはどんどん世界に出て勉強しています。そんな若いプレイヤーたちの演奏環境を少しでもいいものにしてやりたい。そのためには、地元の企業がジャズ音楽に理解を示し、協力してくれるとありがたいのですが」 地方にこだわり続けている安田さんですが、2011年3月11日の東日本大震災はかつてないほどの危機をもたらしました。「生徒さんたちはレッスンに通える状況ではなくなったし、年末まで20本も入っていた仕事がほとんど駄目になり、あっという間に無収入の状態になりました。東京の友人たちが『こちらで仕事しろ』と言ってくれましたが、ここを離れるのは嫌でした」 震災直後、当時、音楽学校を開いていたビルの賃貸料の請求が届きました。事情を説明して交渉しましたが、断られました。やむなく30年使い続けた愛機(米国製)を手放したそうです。愛機を失った後は、教室にレッスン用に置いてあった日本製の楽器を使っていました。見かねたクラシック畑の知人が「どちらかを選べ」と、クラシックのプレイヤーにはあまり人気のない古い楽器を2本送ってくれました。今、大切に使っているのがその楽器です。 「もうこのサックスは人には譲れない、持っているだけで、その人の顔が浮かんでくるからね。震災前は、仙台で一番ギャラの高いミュージシャンになってやろうと思っていたけれど、音楽は金ではない。あらためてそれが分かりました」 (メディアプロジェクト仙台:佐藤和文)