九州豪雨「水が上がってきたから屋根の上にきた」「助けて」直後に電話切れ…母と伯母を奪った濁流
九州豪雨で氾濫した球磨川の濁流は、川沿いで暮らした姉妹の命も奪った。豪雨から4日で4年。JR肥薩線・球泉洞駅(熊本県球磨村)の名誉駅長だった母と伯母を亡くした平野みきさん(53)は、直前まで連絡を取り合っていただけに、今も歯がゆい思いが消えない。それでも、母が暮らした故郷に少しでも活気を戻したいと、前を向いて歩みを進めている。(山之内大空) 【動画】九州豪雨で浸水した「釜田醸造所」がしょうゆ造り再開…熊本県人吉市
名誉駅長
「天国でにぎやかに過ごしているのかな。こっちは元気でやっているよ」。平野さんは4日朝、駅前で手を合わせ、母の川口豊美さん(当時73歳)と伯母の牛嶋満子さん(同78歳)に心で語りかけた。
平野さんの母は、駅前にあった自宅兼店舗で「川口商店」を営み、アユ釣りの時期は、朝からさおを振るう釣り客のため、午前3時頃に起きておにぎりや弁当を用意した。全国の常連客から「お母さん」と慕われた。
夫の次義さんが2007年に亡くなると、名誉駅長の役割を継ぎ、駅の草をむしり、ホームを清掃した。季節ごとの花を飾り、観光列車「SL人吉」が駅を通過するたび、店の前に出て乗客に向かって手を振った。
平野さんは「母が結婚してから肥薩線はずっと目の前にあった。思い出がいっぱいあり、誇りも持っていたはず」と推し量る。
雨降りやまず
4年前のあの日、午前4時20分頃。降り続く大雨を心配して、平野さんが母にメッセージを送ると、すぐに電話がかかってきた。「大丈夫よ~」と、いつもの調子の母だった。
しかし、雨は降りやまず、水位は上昇。「(店の前の)県道に水が来た」「車が流れそう」と、深刻な状況が次々と伝わってきた。
平野さんは村役場などに救助を求めたが、電話は不通に。母は、平野さんと同居する馬氷敏治さん(64)にも連絡してきて「水が上がってきたから屋根の上にきた。ヘリコプターを呼んで」と訴え、「助けて」という伯母の叫び声も聞こえた。電話はそこで切れ、再びつながることはなかった。
濁流にのまれた2人は、八代海まで流され遺体で見つかった。「家まで流されるなんて。戻れるならあの日に戻って避難させたい」