湖池屋の「湖」は諏訪湖が由来? 諏訪地域で耳にするうわさ―創業者の長男で現会長に聞いた
東京の本社を訪ね
ポテトチップスで有名な菓子メーカー「湖池屋」の創業者は諏訪地域の出身で、社名の「湖」は諏訪湖が由来?。諏訪地域でよく耳にするうわさだが、地元の歴史に詳しい人たちに聞いても真相がつかめなかった。いっそのこと直接聞いてみようと、湖池屋本社(東京都板橋区)に出向き、創業者の故小池和夫さん(1927~2009年)の長男で現会長の孝さんらに聞いてみた。 【写真】小池和夫さんが開発した1962年当時のポテトチップス「のり塩」
生まれは諏訪地域
和夫さんは諏訪市生まれとされているが、はっきりとした記録はなく、茅野市や富士見町にゆかりがある可能性もあるという。孝さんも激動期を生きた和夫さんの故郷について明確には分からないようだが、諏訪地域生まれであることは確かなようだ。
諏訪湖への思い
「子ども時代に諏訪湖を見て大きいと思ったんだろうね。諏訪湖への思いがあって湖池屋としたそうです」と孝さん。諏訪湖のように大きな会社にしたいと「小池」の「小」を「湖」にしたという。やはり社名の由来は諏訪湖だった。
昭和28年、湖池屋を創業
韓国で育った和夫さんは終戦後、東京の和菓子店で営業の仕事をしていた。1953(昭和28)年湖池屋を創業。当初あられなどの詰め合わせを製造・販売していた。
二度と食べたくないと思っていたイモが…
戦中はイモばかり食べていたため「イモなんて大嫌い」という人が多かった。戦後、米軍と一緒にポテトチップスが日本に流入。バーのような場所で初めてポテチを食べた和夫さんは「二度と食べたくないと思っていたものがこんなにおいしくなるのか」と衝撃を受けたのだという。
「のり塩」誕生
将来性を感じ、日本人が喜ぶ味を目指して研究。台所にあるふりかけなどを使い試行錯誤し、62年に「のり塩」を開発。孝さんが子どもの頃は家中にポテチがあり、「あだ名がポテトチップスだった」と笑う。
量産化に初成功
当初は飲食店で食べる高級品だったポテチの量産化に初めて成功したのも和夫さんだ。最初は大きなざるを使って手揚げしていたが、追いつかず半自動に。それでも生産が間に合わず、米国の工場を見学し、国内メーカーとオートフライヤーを開発した。