なぜ演歌の主人公は北へ北へと目指すのか? 『津軽海峡・冬景色』が決めた、石川さゆりのシンガーとしての方向性【1977年1月1日リリース】
1977年1月1日にアルバムからシングルカットされた石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』。デビューしてからなかなかヒット曲にめぐまれなかった彼女が、この曲で大成功を収められた理由とはなんだったのか。 【画像】18歳のころの石川さゆりが写る『花供養』(コロムビア)のジャケット写真
実は「北」には「逃げる」という意味がある
覚えやすいことが必須な歌謡曲では、まず印象的なイントロのアタックが重要だ。そして歌詞においては歌い出しの一行が勝負である。 上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中 … 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 編曲:三木たかし 『津軽海峡・冬景色』はわずか一行で、主人公を上野駅から青森駅まで連れて行ってしまう。 阿久悠の物語性が強い歌詞は映像的で、三木たかしの三連のビートに言葉を乗せて北の風景を鮮やかに描いていく。 そして石川さゆりの切ない歌声は、うめき声のような海鳴りと重なって聴き手に迫ってくる。 「北」というと、今は誰もが方角のことを思い浮かべるが、実は「北」には「逃げる」という意味があるという。 「北」という漢字 は、左と右の人間が背を向けて立っている様子を表している。そこには「背を向ける・そむく」という意があり、「背を向けて逃げる」という意味にもつながる。 例えば「敗北」は「負けて逃げる」という意味だ。そう考えると、歌の中の孤独な主人公がなぜ北を目指すのか、かなり理解できるのではないだろうか。 日本の歌の主人公は、北へ北へと目指す。 北へいくほど風景は寂しくなり、行きあう人は少なくなる。 だから、北へ行こうとするのかもしれない。 肩をすくめ、心を凍らせて、歌の中の男や女は、独りうずくまる。 それが、わが国のロマンティシズムである。 (久世光彦) 当時の石川さゆりファンには、ふだんはロックを聴いている若者が多かった。日本語ロック論争の舞台となった『ニュー・ミュージックマガジン(現ミュージック・マガジン)』を1969年に創刊した故・中村とうようは、そのことについてこう述べていた。 演歌にロック・ビートがついている、ということだけなら、別に新しくも、物珍しくもない。 〈略〉 早い話が、八代亜紀にしたところで、伴奏には、控え目ではあるがロック・ビートがついている。だけど、石川さゆりの三部作(注)は、ただ演歌にロック・ビートがくっついているだけではない。最初からロックの形で作られた演歌なのである。 (注)石川さゆりの三部作とは『津軽海峡・冬景色』と、それに続いてヒットした『能登半島』『暖流』を指している。