音声ガイド制作者が見た「朽ちないサクラ」 小さな所作一つ、視線一つで伝わる心情
生まれた時から見えない人は自由に鑑賞する
話が少しそれますが、生まれた時から視覚を使わずに暮らしている人の方が、「音声ガイド」や、テレビの解説放送を利用しないということは皆さんご存じでしょうか? なぜなら、視覚を失ったわけではなく、見えない状態が当たり前なので、音声ガイドはうるさいもの、と捉えられがちなのです。ご自身の頭の中で情報を補完して、自由に鑑賞しているという感じです。もう10年程前になりますが、やはり普段は補助音声のサービスは使っていなかった30歳くらいの全盲の女性に、新作に音声ガイドが付いたのでぜひ体験してほしいと誘って鑑賞してもらったことがあります。その時に彼女が、「映画にこんなに情報があるとは驚きました」と言い、「目が見えている人が表情で物語を進めることがあるのだということを知りました」という感想をくれました。この「朽ちないサクラ」では、そのエピソードを思い出しました。
セリフのないシーンの音声ガイド
葬儀場のシーンにつけた音声ガイドテキストをご紹介します。30秒ほどのセリフのないシーンです。 3、40名ほどの参列者で埋まった斎場。 焼香を済ませた弔問客が、遺族にお辞儀。 胸に白い花をつけた千佳の母。 見ている泉。隣には富樫。 泉が目を上げる。 兵藤が遺族席にお辞儀をして、祭壇に手を合わせる。 横から見ている泉。 焼香をあげる兵藤の動きをぼんやり目で追う。 映像には葬儀会場の音が入っているけれど、セリフのないシーンなので、そもそも何が起きているのか視覚を使わないとつかみづらいシーンです。兵藤という男の名前だけは、別のシーンでセリフの中だけで出てきていて、姿を見せるファーストシーンです。泉の視点で捉えています。決して、ドーンとアップになったり、分かりやすく寄りの映像になったりせず、上記のように泉の心情も伝わる初登場シーン、見ているこちらは、この人に疑惑を抱き始める序章となっています。
小さな所作が伝える心情
そして、終盤、泉が上司である富樫(安田顕)と料理屋の座敷で対峙(たいじ)するシーンは、派手にやりあってというシーンではなく、向かい合って話をしながら回想シーンがつながっていきます。小さな所作一つ、視線一つで心情が伝わるので、富樫なりの強い思いと同時に、泉にとっては命の危険すら伴うシーン、前回の「違国日記」ではガイドを入れないことで会話に集中させていましたが、こちらでは、小さな所作を入れることで見ごたえを損なわない音声ガイドとなったと思います。そして、映画のラスト、千佳の母・雅子(藤田朋子)とのシーン。雅子の一言が、泉の胸のつっかえを取りのぞき、また泉の行動が雅子を救い、2人が寄り添う。とても印象的でした。劇中、山道でのカーチェイスがあるものの、派手な銃撃戦や格闘シーンではなく、さまざまな人のそれぞれの気持ちを、鑑賞者は受け取りながら物語を見ていくので、アクションにも勝る見ごたえがずっしりと感じられる作品でした。
音声ガイド制作者 松田高加子