若きホープ中村鶴松、歌舞伎座で主役に挑む。中村勘三郎が描いた未来へ
中村勘九郎と中村七之助が牽引する中村屋一門の若きホープとして期待されている中村鶴松が、歌舞伎の殿堂、歌舞伎座で主役の女方を演じている。その役は『新版歌祭文 野崎村』のお光。無事に初日を迎え、日々奮闘している鶴松は、どんな心境でこの役と向き合っているのだろうか 中村鶴松さんのお光 フォトギャラリー
『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん) 野崎村』は大坂で油屋を営む大店の娘お染と奉公人の久松の心中事件を元にしたお話。お染と許されぬ恋仲になった久松は、養父の久作がいる実家へと戻され、許嫁のお光と祝言を挙げることになる。ところが、それを喜ぶお光の前にお染が現れ、久松の子を身ごもっているから一緒になれないのなら死ぬと訴える。お光は自分が身を引くことで、お染と久松の心中を思い留まらせようとするのだが……。かいがいしく親の世話をしながら暮らしている純朴な田舎娘のお光を、鶴松さんはどのように体現するのだろうか。 ──2月2日、初日に見た舞台からの景色はいかがでしたか? 鶴松:舞台に立つ前は、プレッシャーで大変なことになるのではないかと思って恐れていましたが、意外と堂々としていられたように思います。幕が開いてしまえば止まることもないので、自分が思うようにやろうという気持ちでした。2021年の「八月花形歌舞伎」で『真景累ヶ淵 豊志賀の死』で新吉を勤めさせていただいたという経験があったからかもしれないですね。 ──初めてお光の扮装をしたときと、本番で演じたときでは、心境の変化や気づくことはありましたか? 鶴松:扮装をしてのスチール撮影は12月に行われ、そのときはまだ僕の身体にお光はそんなに入っていなかったので、本番とは全然違います。稽古の時は、大根を切ったり、お灸をすえたり、やらなければならない仕事や考えることが多くて大変だと思っていましたが、幕が開いてみると、お光の出番が思ったよりは短く感じました。前半はチャキチャキ動いて、お客様が笑ってくださって、あっという間に終わってしまいます。稽古の時から(坂東)彌十郎さんや七之助さんからは「お光はおいしい役だよ」って言われていたんですが、最後に、一人でポツンと立った姿で幕が閉じるのを実際に体験してみて、“おいしい役”だとおっしゃる意味が少しわかったような気がしています。 ──今は、お光の扮装をすると、役のスイッチが入る感じですか? また、先輩方から日々いただく指摘には、克服しなければならない課題はありますか? 鶴松:少しずつそうなってきたかもしれないですね。でも、自分で気づけないことは七之助さんが指摘してくださるんですが、今日(2月5日)は「 1800人ものお客様が入る劇場で演じていることを忘れてはいけないよ」という玉三郎さんからのお言葉を教えてくださいました。後半ではお光が悲しみを抱えつつもこらえている芝居なので、震えるような小さな声でささやいたり、息が漏れたような声を発したりしたほうが、お光の心情を演じている感覚はあるんですが、「小声では伝わらないから、歌舞伎座の3階席まで届けないといけないよ」とも言われました。 ──世阿弥の「離見の見」という言葉にあるように、「演じている自分を俯瞰した感覚でいるほうが演りやすい」とおっしゃっていましたが、本番ではその境地に達しましたか? 鶴松:自分を客観的に見ることはできていると思います。ただ、僕のお光がいいのか、悪いのかは、自分ではわかりません。特に後半は「冷静でいなさい」と七之助さんから言われているのですが、それが難しいんです。お光は、自分の好きな人のために、自分の幸せを諦めて剃髪した女性ですが、悲しんでいるようには見えてはいけないんです。「私は大丈夫です」という達観した心持ちでいれば、逆にその姿がお客様には悲しく見えるのだと教わりました。これは稽古の段階から言われていましたが、頭で考えれば考えるほど、できなくなってしまって……。“悲しんでいないお光”になるまでには、まだまだ遠い道のりがあると思います。 ──中村勘三郎さんには、今、お光を演じていることについて、何か伝えたいことはありますか? 鶴松:勘三郎さんがいろんなお役をなさっていたからこそ、今回、僕もお光を演じる機会をいただくことができたので、とてもありがたいです。まずはその気持ちを伝えたいですが、もし勘三郎さんに会えるなら、僕のお光を見てどう思われるのかということを聞いてみたいですね。今日も歌舞伎座に来るまでの電車の中で、勘三郎さんがお光をなさったときの映像を拝見していて、“今日はここを真似しようかな“と考えていました。最初は「いったん、物まねはやめて、考えないように」といわれて、あまり考えないようにしていたのですが、少し落ち着いてきたので、少しずつ取り入れようと思っています。 ──鶴松さんがお手本にしたいと思う勘三郎のお光はどんな感じでしたか? 鶴松:僕が拝見した映像は、勘三郎さんがまだ20代の時に国立劇場(1979年1月)でお光を演じていらした時のものです。当時勘九郎だった勘三郎さんはほっそりしていて、純粋無垢で、真っ白というイメージのお光でした。七之助さんが演じるお光は、いつも女方を演じていらっしゃるだけあって、身体に全部が染みついていて、歩き一つとっても、それらしく見えるんです。勘三郎さんは女方だけでなく立役も演じる方でしたが、日常的な動きにも、何にも染まっていない可愛らしさがありました。勘三郎さんのお光はお染と初めて会ってお辞儀する時に顎を上げる動きをするんですが、本来はそんな動きはしないんです。勘三郎さんがなさると、とても愛らしくて健気に見えました。幕が開いてからは真似をしてみてもいいと言われたので、ぜひ挑戦してみたいと思っています。 ──今回、お光を演じたことは、鶴松さんの“歌舞伎役者人生”において、どんな意味があるとお考えですか? 鶴松:『新版歌祭文 野崎村』は義太夫狂言ですし、女方の中で本当に難しくて、挑戦するのが怖かったお役です。僕の仁(ニン・役柄が要求する役者の身体と芸風のこと)に合っていると言っていただくことはありましたが、僕にとってわりと苦手なことが詰まっている印象でした。まだ数日しか演じていないのでこれからどうなるかはわかりませんが、無事に千穐楽を迎えて、お兄さん達(中村勘九郎・中村七之助)が喜んでくださったら、僕にとって、今後どんな役を演らせていただくことになっても、相当な自信につながると思います。 ──勘三郎さんの13回忌の追善公演でお光を演じたことへの思いを教えてください。 鶴松:勘三郎さんという方がいたからからこそ実現したことだと思っているので、心から感謝しています。僕の役者人生をかけて真剣に取り組み、25日間ある中で、慣れで演じて悪くならないように、毎日新鮮な気持ちで演じ、一つでも多くを学ぶ事ができたらいいなと思っています。