埋め込み社会から消齢化社会へ:不明瞭化する社会意識の世代差
消齢化社会
これと重なる傾向を、生年世代に注目して明らかにした研究がある。博報堂生活総合研究所は、1992年から継続してきた「生活定点調査」の結果を分析し、2023年の日本社会を消齢化社会と名付けている。その特性は2点ある。 第一は、社会の中核を構成する20~60代において、社会意識の世代差が、かつてのように明瞭ではなくなったということだ。世論調査や市場調査の分析では、団塊、ロスジェネ、氷河期、ゆとり…というように、世代の切り分けがなされてきたが、こうしたセグメントごとの差が消えはじめているというのだ。 第二は、それは社会全体の画一化、均質化を意味しているわけではなく、それぞれの世代の中に、多様な考え方の人たちが混在しているということだ。考え方の多様性は大きいのだが、それをすっきりと理解するのが容易ではなくなっている。この変化は、平均や分散の異なりという見た目の記述統計水準には表れてこない。社会意識と社会構造のつながり方の水面下での変質であるからだ。 これがデータとして見えてきたのは、この数年のことだ。その最大の要因は、調査対象世代の漸次的な入れ替わりである。20年ほど前までデータの中核であった団塊の世代をはじめとする高年世代は、名実ともに現役社会から退出し始めた。代わって今は21世紀生まれの若年世代が社会に入ってきている。 もっとも、新旧の世代間に、はっきりした分かれ目があるわけではない。そして人口規模も、退出する人びとは人口が多く、若い方は少子化でインパクトが小さくなりがちである。そのため、データ上は従来あった枠組みが緩やかに消えていくという動きになる。あえて言うならば、日本の社会意識は1970年代中盤生まれ、つまり団塊ジュニア世代前後をおおよその分岐点として変質したようだ。
右肩上がりから失われた30年へ
しかし、どうして世代交代によって誰が何を考えているのか分からなくなるのだろうか。そこで示唆されるのは、背景にある社会変動の影響だ。20世紀後半、日本は右肩上がりの変化を経験した。しかし平成の初めのバブル崩壊をおおよその変曲点として、ポスト近代化期の高原状態に至った。その後は、いわゆる失われた時代が30年以上経過している。 この時代性に生年世代を重ねると次のようにいえる。今の壮年層以上は、右肩上がりの変化の時代を経験している。団塊ジュニアは、幼少期から学齢期にこの時代を見た最後の世代である。ここまでの層では、若いということが、豊か、高い、新しい、革新的、民主的ということと結びつくという枠組みがあった。そして雇用は固定的で、男女の役割や関係性も明瞭で、望まれるライフコースの歩み方が社会に共有されていた。そうした社会を是認してはいなくても、そういう枠組みがあることを人びとは認識し、そこでの自分の位置取りを自覚(アイデンティファイ)していた。 しかし、時代変化のベクトルを失ったその下の世代は、その名の通りのロスジェネからZ世代まで、同じような豊かさの中に育ち、むしろ緩やかに坂を下っているといわれる時代を生きてきた。戦前派、戦中派、戦後派、団塊の世代の右肩上がりと比べると、世代間の量的な差は少なく、微かな質の違いにすぎない。 そしてそうした停滞期が、親子1世代の周期を超える長さで継続したため、子どもが親より上の学歴、上の職業的地位、豊かな経済力とゆとりある生活状態に行くことが当たり前ではなくなり、地位上昇や前進を目指す「ゲーム」の共通ルールが失われた。若い世代では、誰もが共有している、とかつては信じられていた社会の枠組みが参照されなくなり、その分だけ内部のばらつきが大きくなっている。