「外務省にけしからんと言われても、私は『ロヒンギャ』という言葉を使いますよ」ミャンマーのクーデターから3年。今も難民支援を続ける元外交官の想い
ミャンマー国軍の「本質」がむき出しになったクーデター
2021年2月1日、ミャンマー国軍によるクーデターが起こった。同日未明に国家顧問のアウンサンスーチーをはじめとする与党NLDの幹部政治家たちが国軍によって一斉逮捕された。 前年11月に行われた総選挙においてNLDが476議席中396議席を獲得し、国軍系政党USDPは大敗を喫していた。選挙は国際機関による監視下で公正に行われていたが、国軍は不正があったと主張し、この暴挙に出たのであった。 そしてあらゆる権力がミャンマー軍の最高司令官であるミン・アウン・フラインの下に統合されることになった。 以降、すべての権力を掌握した国軍政権に盾突く者は拘束され、反軍政デモは暴力によって徹底的に弾圧された。ミャンマー国内は内戦状態に陥り、現在もそれは続いている。 クーデターの一報が世界中に発信された同年2月1日の明け方、一本の電話が台湾の首都・台北から舘林のアウンティンに入った。コールしたのは、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰所長。泉は言った。 「ミャンマーの市民には本当に気の毒な状態に陥った。しかし、あなたたちロヒンギャにとってはこれひとつのチャンスでもある。この機会は大事だと思う」 クーデターによってミャンマー国軍の本質がむき出しになった。ロヒンギャが受けて来た迫害がいかに理不尽で許されざるものであったのか、いまだに「ロヒンギャはベンガルからの違法移民」というデマを信じて国籍を奪う弾圧に加担する人々に、理解を迫る機会であると泉は説いた。
クーデターから3年、国軍政府は徴兵制まで導入
クーデター後、ミャンマー国内では、ロヒンギャに対する懺悔の声が大きく巻き起こった。不当に政権を奪取した国軍政府に対して、民主派がつくったNUG(挙国一致政府)は、現在ロヒンギャのアウン・チョー・モーを副大臣に任命している。 泉は世界がコロナウイルスに覆われると、密になるロヒンギャのキャンプを心配し、台湾の外交部長にマスクを現地に贈って欲しいと依頼した。部長は承諾してくれたが、台湾はバングラディッシュと国交がなく、輸送の技術的な問題から実現できなかった。 しかし、こうした泉の着任国を超えた尽力はアウンティンのコミュニティでも知られることとなった。 「祖国からも日本政府からも見捨てられた私たちに、彼はずっと向き合ってくれた」 2023年11月に外務省を退官し、日本に帰国した泉を招きたいという舘林のロヒンギャたちの夢が3月1日に実現したのである。 茂林寺前駅に降り立った泉をアウンティンは車で迎え、豪勢なハラルフードでもてなし、舘林市役所での多田善洋市長との会見をセットした。 席上で泉は、最も迫害されているロヒンギャの人々を行政として受け入れ、ともすれば偏見もともなうイスラム教徒の人たちとの共生社会の実現に積極的な舘林市の姿勢に感謝を捧げた。 ロヒンギャの人々の意見交換もさかんに行ってきた多田市長もこれに応え、人権の先進自治体としての抱負を語った。 「夜は皆で盛大なバーベキューの準備をしているので」というアウンティンの誘いを丁寧に辞した泉は、午後には再び東武線に乗り込んで帰途についた。 「ロヒンギャのキャンプにいた若者が今年、広島大学に3人入学したそうですね。素晴らしいことです。難民に対しては健康と教育を絶やしてはいけない。僕は外交官にはイマジネーション(想像力)とコンパッション(思いやり)が重要だと思うのです。ロヒンギャやクルドは本当に気の毒な人たちです。他の立場の人は、決して僕らが世界を見ているのと同じように世界を見ているわけではない」 それを泉はサン・テグジュベリの小説『星の王子様』から学んだという。 ミャンマーは外務省の南東アジア一課、バングラディッシュは南西アジア課がそれぞれ担当する。縦割りの中でも、泉の関心は着任国以外にも向けられていた。いうまでもなく人道、人権は人類における普遍の価値だからである。 3月27日はミャンマーの国軍記念日である。クーデターから3年、国軍政府は徴兵制まで導入した。自分たちを虐げた祖国が強権を振るい続ける中、かような日本の外交官がいたことをロヒンギャたちは忘れない。 文/木村元彦