センバツ出場日本航空石川の取材で気づいたこと 福森誠也投手へ
感謝したい高校生がいる。今春センバツで伝令を務めた日本航空石川・福森誠也投手(3年)だ。 同校は1月の能登半島地震で被災。なかでも避難所を経験した福森に注目が集まった。 帰省時は県外で過ごす選手も多い中、福森は石川・輪島市にある祖母宅いた。毎年恒例。平穏な一家だんらんのその時。震度7の揺れで天井や壁が落ちてきた。津波から逃げるため、家具の倒壊で腰部を骨折した祖母を背負って高台へ避難した。この出来事は数多くのメディアですでに報じられている。 それから福森は「被災して祖母を助けた高校球児」としてクローズアップされる日々が続いた。センバツでは背番号「19」でメンバー入り。投げない練習試合も多かった。それでもメディアは福森の取材を希望した。ことあるごとに、福森が呼ばれることが恒例となっていた。 甲子園の練習取材では、数え切れないほどのメディアが殺到した。17歳の球児が壁に押しつぶされそうになるほど、大勢の大人が押しかけた。その日が初取材のメディアもいる。地震発生当時の話を何度聞かれても、嫌な顔一つせず落ち着いた口調で話していた。 伝えることが仕事。わかっていても心苦しくなる瞬間はあった。 いつかタイミングがあれば言おう。練習取材後に福森と1対1で話す機会があった。「いつもいつも取材ばっかりでごめんね…」。一瞬きょとんとした福森は言葉を選びながら「いや! 全然大丈夫ですよ!」。気を使わせているようで逆に申し訳なかった。 同校は4月から明星大・青梅市のキャンパスに生活拠点を移している。 先日私も訪れた。控え選手たちは早速入寮していたが、そこに福森の姿はなかった。大会メンバーは春季大会期間中、石川・輪島市にある同校のグラウンドで練習を行っていたからだ。 センバツの直後、福森は「また夏、ここに戻ってきたい」と話していた。また、どこかで会えたら。何度でも感謝を伝えたい。【佐瀬百合子】