村重杏奈「できない」ではなく「やらなきゃいけない」 初主演映画で取り戻した“挑戦”の気持ち
タレント、モデルの村重杏奈が主演を務める映画「悪鬼のウイルス」が1月24日(金)より全国公開となる。本作は「最後の医者は桜を見上げて君を想う」をはじめ多くの著作が支持を受ける二宮敦人のホラー小説を映画化。都市伝説で語られる“ある村”へ調査に向かった4人組の1人で、主人公の日名子を村重が演じる。本格的な演技経験はないという中での初主演。“できない”と思っていた自分にあった意外な適性を知り、初心に帰る気持ちを語ってくれた。 【写真】颯太(桑山隆太)、奈々枝(華村あすか)、日名子(村重杏奈)、智樹(太田将熙)は神隠しの噂があるという旧石尾村へ向かったが… ■「これからも続けた方がいいよ」監督たちからのうれしい言葉 ――初の主演作です。公開を控えた今の心境を教えてください。 撮影は2023年のことなので、待ちに待った公開という感じですね。主演発表がされてからというもの、「村重の演技が楽しみ」「村重のホラー映画を見に行きたい」といった、すごくポジティブな言葉がたくさん届きまして、早く公開されないかなってわくわくした気持ちでいっぱいです。 ――演技経験は少ないですが、映画一本を通してみていかがでしたか? 得意か不得意かで言ったら、正直どちらなのか自分では分からないんですよ。ただ、今まで全く自信がなくて、ネガティブな気持ちでいたのは確かです。けれど、今回の撮影が終わった後、監督やスタッフさんたちから「演技の仕事を断っちゃダメだよ」「これからも続けた方がいいよ」という言葉を頂いたんですよね。 びっくりでした。まさかそんなふうに言ってもらえるなんて。だから、もしかしたらちょっとだけ期待しちゃってもいいのかな、頑張ってみてもいいのかなっていう自分はいます。 ■撮影前は不安も「想像していたよりはしっかりできた」 ――今まで苦手意識のようなものがあったわけですか? そうですね。やっぱり村重としての私が出過ぎてしまっていて、誰かになりきれるわけないじゃんって。世間的にはバラエティーの人というイメージが強いだろうし、そうした私が誰かになって、それが見る人に入っていくのかは不安でした。 ――結果としてそれは杞憂に終わり、監督たちから良い言葉をもらえたわけですが、村重さん自身は撮影中に手応えはありましたか? 自分が想像していたよりはしっかりできたと思います。撮影前はただただ不安。何から手をつけていいのかも分からない状態でしたけど、現場に入ると現実的な悩みが増えていくんですよね。 明日のこのシーンはどうしよう、ここはどうしよう、とか。具体的な壁にぶつかって何をやるべきかが明確になっていったことで、むしろ自分とも、日名子という役ともしっかり向き合いながら撮影できたと思います。 ■お気に入りはきれいな“牛乳ピュー”のシーン ――今作はホラー映画ですが、どんな作品で、その中で村重さんは日名子としてどんな姿を見せてくれるのでしょうか? まず日名子たち4人は動画配信者のグループで、都市伝説で知られる“ある村”に調査をしにいきます。若気の至りというか、まあ見ていて「バカだなぁ」といういきさつからで、しっかりトラブルに巻き込まれてしまいます。 4人の人間関係が意外とドロドロしていたり、恋愛があったりという若い男女たちの話なので、私たち世代にはかなり刺さるドラマです。一方で、大人の方が見ても「こういうときってあったな」と思えるようなドラマだと思います。若いときだからこその感情の絡み合いが面白くて、ホラーなんだけど、怖いだけの作品とはちょっと違いますね。 “ドキ!”もあるし、“ハラハラ”もあるし、怖さはしっかりあるけど人間模様も面白い。本当にいろいろなシーンがある中で、やっぱり私がいるからですかね。ほんのちょっとだけバラエティー色があって、クスッとするシーンも見られる映画です。 ――主演発表時のコメントで、牛乳を吹き出すシーンがお気に入りと。 そうなんですよ(笑)。唯一、村重そのままというのがそのシーンで、マーライオンみたいにピューと吹き出しています(笑)。バラエティーでもやったことがなくて、一度やってみたかったんですよね。きれ~いに吹き出しているのでぜひ見てほしいです。 ■「できない」ではなくて「やらなきゃいけない」 ――演じる日名子に対して、共感や自身が重なる瞬間というのはありましたか? 日名子って主役らしくない主役で、逃げ回ってばっかり、助けてもらってばっかりの子なんですよ。そのへっぽこ感が好きだし、たまに見せる女の子の裏側みたいな腹黒さもリアルで、現実にいる子だなって思います。 でも、共感とかは全くないですね。私自身は立ち向かっていくタイプだし、恋愛でも腹黒いことって考えたことがないんですよ。村重とは違う、本当に全く違う誰かを演じている気分でした。 ――演じる上で入りやすいのは自分に似た役だと思います。先ほど「誰かになりきれるわけがない」ともおっしゃっていましたが、そうすると日名子を演じるのは大変でしたか? そもそもこうした本格的な演技が初めてだったので、これが大変かどうかすらも正直分からないです。だから苦労したというか、考え込んだという点でいうなら、日名子をどう形作るか、でした。 日名子は割と育ちのいいお嬢様なんですけど、私はそういうタイプじゃないじゃないですか。育ちの良さってどう出すものなのかが全然分からないし、腹黒さはあるけど品もあるって、どういうこと?って。私に備わっていない人間性だし、人生でも出会ったことがない子だし、1人の人間を一から自分で作り上げないといけないのは大変でしたね。 ――監督たちからも良い言葉を頂いたということですが、これを終えて次の役者仕事への気持ちも湧きましたか? 積極的に頑張りたいとは思いますけど、やっぱり難しいというイメージは拭えないですね。でも一つ自信になったのが、バラエティーと両立できるかもっていうことです。撮影期間中もバラエティーの仕事はあったので、村重と日名子を切り替えながらだったんですよね。それを監督から、結構珍しいタイプだよって。役者さんって撮影期間中は役の人物がずっと入っている人が多いけど、「村重さんは違うね」って。 そう言われて気付いたんですけど、私って割と淡々と切り替えることができて、意外と器用なのかもと思いました。案外バラエティーと並行して撮れるかもと思ったので、機会を頂けるのであれば、これからも頑張りたいです。やっぱりバラエティーに出て行ったときと同じで、“できない”ではなくて、“やらなきゃいけない”。初心に帰って、どんな役であれ挑戦することが大事だと今は思っています。 ■共演者も驚きのダイエットは-9キロ ――2024年は-9センチのダイエットがネットニュースで話題になりました。周りの反応はどうでしたか? 「めっちゃきれいになったね」って言われてうれしいです。ダイエットを始めたのは映画の後なので、今共演の方々とお会いするたびにびっくりされて。太田将熙さんからは「村重、どんどん小さくなってるね」って言われました。「そのうちいなくなっちゃうんじゃないかって心配になるよ」って(笑)。それくらい結構変わったんだなって、周りの反応で実感します。 ――ダイエットを始めたきっかけは? 元々「ジムに通いなさい」とずっと言われていたんです。モデルの仕事をする上で衣装が入らないって論外じゃないですか。そういう危険なとき、今までは“食べない”という無理なダイエットで凌いできたんですけど、それがちょっともう年齢的にも体力的にもきつくなってきて。それでですね。トレーナーの方には「ご飯はしっかり食べたい」というのを相談して、変に食事制限をせず、食べても運動をするというサイクルを作って痩せていきました。 そういうやり方なのでゆっくりではあるんですが、最初に体重を9キロ落として。そこから今度はウエストを9センチ絞って今の体形です。 ――リバウンドなく維持できそうですか? というか、維持しないとダメですね。若いときは体力があるから無理なダイエットにも耐えられるし、食べないだけですぐに落とせるんですよ。でも、25歳を超えたあたりから落ちにくくなって、周りに聞いたらだいたいそうだって。代謝が落ちて、食べないだけじゃ痩せなくなる。 私はそれに気付いてようやく重い腰を上げましたけど、私より若い子には痩せ体質を作る方が後々楽だよと伝えたいですね。無理なダイエットとリバウンドを繰り返すよりも、食べながら健康的に痩せていくというのを習慣化させるのが体形維持の一番の近道です。 ■バラエティーでの場所は絶対渡さない ――26歳となって大人の女性への意識はありますか? 大人にはなりたいですね(笑)。2024年は急いで品を身に付けようとした1年で、敬語やていねいな物言いをだいぶ勉強しました。今までどの現場でも破天荒な振る舞いが多かったと思いますが、場所によってはそれも抑えて。それが大人な女性につながっていくといいなと思います。 ――「呼び出し先生タナカ」(フジテレビ系)でブレークしてから3年あまり。バラエティーでのこれからの自分をどのように考えていますか? 今でも話し方の練習をしたり、台本確認をみっちりしていますが、やっぱり気は抜けないですね。若さと勢いだけでは通用しない現場も増えてきたので、求められていることをすぐに察知して、それができるような対応力を身に付けていきたいと思っています。 私がバラエティーに出始めたときと同じように、これから若いタレントがたくさん出てくると思います。仲良くやりたいなと思いつつも、その子たちに負けないように、私の場所は絶対に渡さないぞという気持ちで頑張っていきたいです。 ――最後に2025年の目標をお願いします。 2024年はいろいろなことに挑戦させていただいた1年でした。初めてのことがたくさんあって戸惑うこともありましたけど、いい経験ができましたし、プロデュースブランドもスタートしたりと充実した時間になりました。 2025年は前年の継続はもちろん、また新しいことに挑戦していきたいです。テレビではバラエティーでもっと活躍したいというのはもちろんですが、それ以外の番組にも呼ばれるようになって、いろいろな村重を見せられるように進んでいきたいです。 ◆取材・文=鈴木康道