【能登半島地震から半年】自衛隊の派遣日数は東日本大震災超え 「置き去り」にされた被災地の厳しい現実
2024年1月1日、午後4時10分、石川県能登半島を襲った最大震度7の大地震から半年が過ぎる。半年という時間は、はたして長いのか、短いのか――まもなく夏を迎える能登には復旧の糸口さえ見いだせない、厳しい現実がある。 【写真をみる】“路上”に設置された洗濯機を利用する被災者 いまだに水道は復旧せず、使うのは山水だ 6月24日、輪島市市ノ瀬町で約4カ月ぶりに再開された行方不明者の捜索現場では、土砂崩れでできた天然ダムが二次被害を起こしかねず、安全対策が施されるまで近寄ることもできなかった。崩れ落ちた山には、いまだ見つからない56歳の男性がいる。
自衛隊派遣日数は「東日本」を超えた
被災地の能登では今も約2300人が避難所暮らしを強いられている。支援にあたる自衛隊の派遣日数も、6月23日で175日となり、東日本大震災を超えて過去最長となった。 たしかに能登半島地震は大変な災害であった。石川県内だけで死者は260人に上り、重傷者は326人。家屋も全半壊を合わせれば2万4000棟以上になる。しかし、自衛隊の派遣日数があの東日本大震災を超えるとは……。 地元ジャーナリストが言う。 「奥能登と呼ばれる地域は山がちで、ひとたび道路が寸断されると、それより奥へ進めない。また老朽化した上下水道が方々で破損したために、作業者やボランティアの宿泊施設が確保できず、マンパワーを欠いていることも指摘されています。ボランティアの中には、今でもテント泊や車中泊を余儀なくされている人がいます」
復興の兆しの見えない現実
置き去りにされた被災地――。 それは、被災者の暮らしを見ても明らかである。珠洲市清水町では、いまだ水道が通らないため、路上に設置された洗濯機を集落で共同利用している。山水をくみ、浄水器を通してそれを洗濯に用いるという。 また道路についても、なお無残な姿をさらす。能登半島を一周する国道249号線、珠洲市仁江(にえ)町の土砂崩れ現場では、道を塞いだ土砂を除去することができず、輪島市と珠洲市は分断されたまま。地震によって隆起した海岸を利用して新たな道が造られていた。 そして震災の象徴ともなった輪島の朝市の火災現場。やっとのことで公費での建物の解体が始まったのは6月5日のことである。撮影した6月20日にはほぼ片付けられていたが、それでもなおあたりに残る焦げ臭さは、元通りにするまでの復興の道のりの困難さを示しているかのようだ。
撮影・頼光和弘 「週刊新潮」2024年7月4日号 掲載
新潮社