「弟の死は早すぎた」 兄・石原慎太郎が語った石原裕次郎伝説の数々
偶然から映画の世界に足を踏み入れた弟「石原裕次郎」
弟を巡ってはこんなエピソードがあります。『太陽の季節』が映画化されるときに、日活のスタッフが湘南海岸にロケーションにやってきたんですね。しかし、当時の活動屋にとって、私の作品に登場するような風物は全く未知のものだった。多摩川の上流にある片田舎の日活村から、日本におけるヨット発祥の地を訪れたところで勝手が違いすぎる。スタッフが大型クルーザーを目にして騒ぐわけです。「あそこのヨット、寝床があるぞ!」と。 そんな有り様だから、何か分からないことがあるとプロデューサーの水の江滝子が私を質問攻めにしてきた。さすがに面倒臭くなった私は弟を紹介しました。弟は気ままにロケに付き合うようになり、主人公の長門裕之君の友人役として映画に出演することに。それからまもなく、水の江がこんなことを言った。 「スタッフは長門より弟さんの方が、主役にぴったりだと言ってるのよ」 まぁ、誰が考えたって、「太陽の季節」の主人公は長門裕之じゃないよね。気の毒なほどミスマッチだった。とはいえ、そんな偶然によって弟は銀幕の世界に足を踏み入れました。 そして、当時の活動屋は、まだ新人に過ぎなかった頃から弟にスターの輝きを見出していたと聞きます。あれは「太陽の季節」か、弟の初主演作「狂った果実」の時だったか、ベテランのカメラマンが水の江に声をかけたという。彼女に弟を捉えたファインダーを覗かせて「おい、水の江君、こいつ阪妻(ばんつま)だ。阪妻がいるよ!」と言ったらしい。阪東妻三郎ほどの名優に擬せられるのだから、やはり裕次郎はすごいですよ。
これからもっと憎まれてやろう
一方で、「狂った果実」の中平康監督は大変だったと思います。 とにかく弟は物怖じしないし、スタッフの前で監督を面罵(めんば)する俳優は他にいなかったでしょう。 たとえば、沖でヨットを操る弟が、カメラが据えられたハーバーの岸壁に近づくシーンも語り草になっています。折悪く逆風だったせいで、ヨットは反転を繰り返しながらジグザグに向かってくる。まもなく監督がいらいらしながら弟を怒鳴りつけたんです。 「なんでまっすぐ寄ってこないんだ!」 すると、弟はこう返した。 「監督、ヨットってのは風まかせなの。ボートと違って風に向かって走れないんだから。そんなに言うなら自分でやってみろよ!」 監督と仲が悪かったのも当然かもしれないな。ただ、映画自体はいま観直しても秀作だと思います。 今年(2021年)1月、弟が興した石原プロモーションも幕を閉じました。ひとつの時代の終わりとまでは言わないけれど、弟も渡(哲也)も早すぎたな……。私がいつも慨嘆するのは、市川雷蔵にしろ、(美空)ひばりちゃんにしろ、本当の名優や歌姫は若くして亡くなってしまう。私みたいな憎まれ者は88歳まで生きている。それならば、これからもっと憎まれてやろうと思いますね。 *** このインタビューの翌年、石原慎太郎さんもこの世を去った。「憎まれ者」を懐かしむ声はいまも少なくない。
デイリー新潮編集部
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