フィギュアスケートのブログにあった、忘れられない言葉に。
4月下旬から、アイスホッケーの「選手名鑑」の編集作業をしていた。僕は2年前、この作業中に倒れてしまったのだ。「選手名鑑」というのは雑誌の中でもとりわけ手間がかかるもので、でも多くの人の協力があって、なんとか下版の日を迎えられた。選手やチームはもちろん、編集補助の人、デザイナー、カメラマン、印刷・製本、販売担当者など多くの人のおかげだったと思う。 アイスホッケーマガジン 笑顔の写真 14枚 途中、5月から6月にかけてはフィギュアスケート・マガジンとの「両立」もあった。そんな中で、今から1年前にたまたま目にした、フィギュアスケートのファンの方の「書き込み」がいつも自分の胸にあった。 「アイスホッケーのファンの皆さん、フィギュアスケート・マガジンの次は、アイスホッケー・マガジンが復活するかもしれません。その日を楽しみに待ちましょうよ」 目にした時の気持ちは正直、複雑だった。「ごめんなさい。今の僕には無理なんです」。普通のアイスホッケーの雑誌なら、まあできるだろう。ただ「選手名鑑」というのは本当に特別な仕事で、実際に何度かやってきてはいるものの、それは元気だったころの話。病気になってからは到底、「無理だ」と思っていたのだ。 それでも、それから少しずつ、自分の気持ちに変化があった。「無理だ」から「なんとかできるかもしれない」に変わったのは、理由があるとすれば、1年前の「書き込み」があったからといってよかった。 脳内出血は厄介な病気で、同じく入院していた仲間も、時として例外なく「死を考えた」と言っていたし、本音を言えば僕もそうだった。でも、あの書き込みを見て「本当に自分にはできるのかな」と思ったし、「よし、信じてやってみよう」と思った。 1年前、フィギュアスケートのブログに書き込んでくれた方へ、このメッセージが届いているだろうか。おかげさまで、僕らはなんとかやり遂げました。自分の頭の中には、いつもあなたの言葉があったんです。「やってみよう」と決意した日から、8月の下版の日まで、あの「書き込み」を忘れたことは1度だってありません。本当にありがとうございました。 お礼に、編集作業に撮れた「笑顔」の写真を送ります。この作業がなかったら、こんな選手の表情にも出会えなかった。フィギュアスケートの選手じゃないですが、この表情は雑誌を作る僕の顔でもあったのです。
山口真一