映画『哀れなるものたち』レビュー──エマ・ストーン演じるベラの成長と闘争を描くバロック・ファンタジー
第81回ゴールデングローブ賞の作品賞(ミュージカル・コメディ部門)と主演女優賞(エマ・ストーン)を受賞! 映画『聖なる鹿殺し』(2017)や『女王陛下のお気に入り』(2018)などで知られる鬼才、ヨルゴス・ランティモス監督の最新作が1月26日(金)に公開される。その見どころを篠儀直子が解説する。 【写真つきの記事を読む】映画の見どころをチェック!(全13枚)
フランケンシュタインの物語の変奏
舞台はヴィクトリア女王時代とおぼしき英国。医学生のマックス(ラミー・ユセフ)は、解剖学を教えているゴッドウィン・バクスター博士(ウィレム・デフォー)に住み込みの助手として雇われ、博士の自邸へ向かう。怪しげな実験設備が立ち並ぶその家には、家政婦のほか、ベラ(エマ・ストーン)と呼ばれる世にも美しい女性が暮らしていた。ベラは見た目は成人だが、その振る舞いは、まだよちよち歩きを始めたばかりの赤ん坊そのもの。それもそのはず、彼女の脳は赤ん坊のそれなのだ。入水自殺した女性を博士が引き揚げ、損傷していた脳の代わりに、彼女の胎内にいた胎児の脳を移植したのである。 赤ん坊から幼児へ、さらには小学生程度へと、精神も運動能力も急速に発達したベラはマックスと婚約に至るが、放蕩者の弁護士、ダンカン(マーク・ラファロ)が彼女を誘惑する。ダンカンの性的魅力への好奇心と、「世界を自分の目で見たい」という思いが抑えられないベラは、彼に連れられてリスボンへ。そこからベラの奇想天外な冒険が始まるのだった──! お気づきのとおり、フランケンシュタインの物語の変奏である。ベラの創造者であるゴッドウィン・バクスターはいみじくも「ゴッド」と呼ばれるが、見た目がフランケンシュタインの怪物に近いのは彼のほう。つぎはぎだらけの身体を持つ彼は、これまたマッドサイエンティストだった父親の実験道具にされていたのだ。ベラにかつての自分を重ねているのか、自身が奪われていた愛情を彼はベラに注ぎ、溺愛する。 さて、ヴィクトリア女王時代を舞台にしたフランケンシュタイン的物語となれば、端整なゴシック・スリラーの雰囲気をまとった映画をみなさん想像されるかもしれないけれど、そうはいかない。極端に画面をゆがませる広角レンズ撮影、極端なズーム撮影の使用が、異様な視界をわれわれにもたらす。さらに、ヴィクトリア女王時代とは言ったものの、ベラの衣裳は明らかにこの時代のものを逸脱していて、何やら近未来っぽいものさえある。 ベラが旅する異国はすべてセット撮影であり、構築されたリスボンやパリが、これまたどこか変だ。極めつきは、ピュアでナイーヴなベラに「世界の現実」を突きつけるアレキサンドリアの光景で、まるで睡眠中に見る悪夢そのものである。さらに、全篇に流れる音楽の何と個性的なことか(作曲は、これが初めての映画音楽となるジャースキン・フェンドリックス)。 かくのごとくリアリズムを遠く離れた、独特の、バロックな作品世界をまずは楽しまれたい。いまにして思えば、監督ヨルゴス・ランティモスの前作『女王陛下のお気に入り』(2018)も、そうした姿勢で鑑賞すべき映画だったのだろう(好きな映画監督のひとりとして、ランティモスがピーター・グリーナウェイの名を挙げているのを見たとき、「なるほど、そういうことだったのか!」と、何やら欠けていたパズルのピースがはまったような思いがした)。 さて、ダンカンと旅に出たあともベラの急成長は続く。彼女は自分の感覚を発見し、他者の感情を発見していく。それにつき合わされ、振り回されていくうちに、遊びのつもりだったはずのダンカンは「本気」になっていってしまうのだが、「本気」というのはすなわち、ベラを所有したい、コントロールしたいと思うことにほかならない。 一方、ベラを愛人にしようとしていたとしても不思議ではない立場にあるバクスター博士は、彼女を手放したくないと思っている点はダンカンと同じであるものの、父親の実験のせいで性を剥奪されている。そして、ベラの婚約者であるマックスは、ダンカンとは対照的に、ベラの精神と肉体の自由を尊重する。彼とベラの関係には性愛の影は薄く、まるで完璧に信頼し合う親友同士のようだ。しかもこちらのほうが理想的な関係のように見えるのだから、いったい性愛とは何なのだろうかとちょっと思ってしまう。 だがマックスとて、最初からベラに対してそのように寛容だったわけではあるまい。この物語はベラの成長物語であると同時に、ベラと、彼女をコントロールしようとする者たちとの闘争の物語でもある。コントロールしようとする者は、人格下劣な男ばかりとは限らない。高潔な者が魔が差してそうすることもある。女性がそうすることもある。威圧的な行動によってではなく、同情を引くことで(無意識に)コントロールしようとすることもある。 ベラがどのような闘争を行なうことになるのかは、ここではこれ以上語らないでおこう。エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーク・ラファロらの好演は言うまでもないが、最後に、船上でベラが出会うふたりの人物に言及しておきたい。シニカルな黒人男性、ハリー(ジェロッド・カーマイケル)と、あけっぴろげで風変わりな老婦人、マーサ(ハンナ・シグラ)のふたり連れのことだ。自分の欲望と快楽のみを追求していた(中身がまだ子どもの)ベラに、知性への扉を開くこのふたりは、出番はそれほど長くないけれど、とても魅力的だと思う。ハンナ・シグラの起用は、彼女をミューズとした映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーに対する、ランティモスの敬意の表現でもあるだろう。 『哀れなるものたち』 1月26日(金)全国公開! 配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン ©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved. 公式ホームページ:https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings 篠儀直子(しのぎ なおこ) 翻訳者。映画批評も手がける。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(DU BOOKS)『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)『切り裂きジャックに殺されたのは誰か』(青土社)など。 編集・横山芙美(GQ)