選手がダメでも審判があるさ! サッカーW杯決勝で笛を吹くその日まで…7回の骨折を乗り越え見つけた夢【静岡発】
骨折7回 競技人生は挫折の連続
なぜここまで審判にのめり込むようになったのか? 小澤さんは幼少期からサッカー小僧。兄の影響で5歳から始め、もちろん選手としてプロを目指してきた。 ただ、彼の競技人生は常に挫折の連続だった。小中学校と何度もケガに悩まされ、高校入学後もすぐに左足首を骨折。これで骨折は人生7度目となり、繰り返されるリハビリ生活に心が折れそうになった。 小澤さんは「高校の時にケガをしてしまってプレーできないもどかしさがあった。1日1日が苦しかった。どこかでプロサッカー選手の夢とは決別しないといけないと思っていて」と振り返る。
本気でサッカーと向き合える場所
そんな彼に転機が訪れたのは高校1年生の夏。 中学時代に、チームの方針で少年サッカーなどを担当できる4級の資格を取得していたことで、2022年に磐田市で開催された12歳以下の国際大会に審判として白羽の矢が立った。 東海大静岡翔洋高校3年・小澤拓夢さん: (審判仲間が)他の人のレフェリングに対してフィードバックを入れたり「自分だったらこうする」と話していて、その会話に入って楽しいなと思った 新たな立場でピッチに足を踏み入れて感じた審判を志す仲間たちの飽くなき向上心。 度重なるケガで諦めかけていた”本気でサッカーに向き合える場所”との出会いが、彼の人生を変えてくれた。
夢はワールドカップ決勝で審判
その後、現在の3級に到達すると、2024年に入り高校サッカーの新人戦など公式戦でも主審を務め上げた実績が評価され、3月には静岡県内でたった2人のポルトガルでの研修メンバーに選出されるなど、着実にキャリアを積み重ねてきている。 静岡県サッカー協会の望月省吾ユース部長は「立ち振る舞いも大人に近づいていますし、自分の意志でやっていこうという積極性がある」と評価する。 彼が審判をする上で最も大切にしているのは選手とのコミュニケーションだ。国際試合を裁くとなれば英語やポルトガル語などの言語スキルも重要なだけに努力も惜しまない。 東海大静岡翔洋高校3年・小澤拓夢さん: 最終的な目標はワールドカップ決勝で主審をすること。(今は)いろいろな練習試合や公式戦を経験させてもらって、自分の審判像というものをもっともっと深くまで突き詰めていきたい 今後は、さらに経験を積んで大学ではもっと上の資格を目指している。 いつの日か、憧れのワールドカップへ…挫折を乗り越えた先に広がる“第二のサッカー人生”で、その夢をつかむ。 (テレビ静岡)
テレビ静岡