<関智一>「鬼滅の刃」 不死川実弥の風の呼吸で「パッションが解き放たれた!」 「柱稽古編」に意気込み
言葉数が少ないキャラクターでもあり、「彼が出さないでいるものは、出す必要がない」という意識で演じているという。
◇関智一の「少年ジャンプ」的生き方 胸が熱くなる「鬼滅の刃」の魅力
「鬼滅の刃」は、日本のみならず世界中のファンを魅了する人気作だ。改めて関さんに「鬼滅の刃」の魅力を聞くと、「僕は見る目のない男なので、核心を突いたようなことは分からないのですが」とした上で、「普遍的な気持ちが描かれているのではないか」と語る。
「何かを愛する気持ち、何かを成し遂げていく姿に熱いものを感じるというのは、国や地域が違ってもみんな一緒なのだろうなと。『鬼滅の刃』に限らず、日本のアニメには、そういう普遍的なものをド直球に扱っているものが多いと思います。僕自身もそうですが、みんな自分のことに関しては成功体験ばかりじゃないから『どうせ自分はうまくいかない』とか、何か失敗した時に『立ち上がれない』と思うことも多い。そんな時に『ヒーローみたいな勇気と力があればいいな』と思ったり、それに反することばかりしてしまう自分を省みたりする。だから、炭治郎やヒーローを見ると、自分の代わりに戦ってくれているように感じると思うんですよね。『僕もこんなふうにできたらよかったな』『次はこんなふうになりたいな』と重ねて、胸が熱くなるところがあるんじゃないかなと。僕はそうなんですよね」
関さんは、炭治郎ら鬼殺隊が修業する姿が描かれる「柱稽古編」も自身と重なる部分があると感じているという。
「炭治郎くんほどすごくはないけど、彼が柱の人たちの思いを受けて戦っているように、自分がお芝居の勉強をしている時に教えていただいた方たちの言葉、教えが自分の中に今も残っているんです。作品に取り組む時にその言葉がぱっと出てきたり、『あの時、教えてもらったことにのっとってトライしてみよう』と思うことが結構あるので、今の自分はさまざまな人の集合体になっている感じがします。正直、若手時代の稽古(けいこ)のほとんどは嫌なものでしたが(笑い)、それを支えてくれたのは友達でした。そういう意味では、少年ジャンプみたいな生き方だったような気もします。友情に支えられて、努力して、勝利みたいな、そんな感じはあったかもしれませんね」