<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>2003年夏優勝・松林康徳部長/下 甲子園が一人前にする /茨城
◇成長の証し 記念ボール次代に 決勝で顔を合わせた東北(宮城)の2年生エースは、現在大リーグで活躍するダルビッシュ。「将来すごい投手になるから、ヒットを打っておけば孫の代まで自慢になるぞ」。木内監督は冗談めかすばかりで、選手に策は授けなかった。 攻略の糸口をつかんだのは、0―2で迎えた四回。先頭の平野が内野安打で出塁した。泉田は強攻して遊飛に倒れたが、坂(後に阪神など)が二塁打を放ち、1死二、三塁に。打席に向かう松林は焦っていた。第1打席は振り遅れの二ゴロ。ダルビッシュの球を打てる予感がしなかった。 「スクイズのサインを出してほしい」とベンチに視線を送ったが、動きはない。「せめて外野フライで三塁走者を還そう」と高めの直球に食らいついたが2球連続ファウル。「前にさえ飛ばない……」と絶望しかけた。外角へボールとなるスライダーを見送り、1―2となっても指揮官は腕を組んだままだ。 そのとき、木内監督が以前話した言葉を思い出した。「甲子園のグラウンドは硬めにセッティングされているから打球が高く跳ねるぞ」。ダルビッシュの勝負球は低めに来るはず。それをたたこうと狙いを定めた。 4球目、予想通り低めに来た直球をたたきつけると打球は高く弾んで三ゴロに。反応よくスタートした三塁走者が生還した。「よかった」。一塁に走りながら松林は胸をなで下ろした。 常総はさらに強打でたたみかけた。大崎の三塁打などで計3点を挙げ、逆転した。 試合後の木内監督は四回の強攻について「(バントではなく)打たせてタイミングを取らせようと考えた」と説明。「甲子園は子供らを一人前にしてくれる。ここでは皆、優等生になる」。自ら判断してプレーした選手の成長に目を細めた。 ◇ 九回、勝利を決める最後の打球は一塁を守る松林へと飛んだ。両手で大事に捕球して自らベースを踏むと、そのままマウンドへ駆け寄った。「終わった。やっと重圧から解放される」。歓喜の輪の中で、優勝の喜びと安堵(あんど)で感極まった。 胴上げの後、木内監督にウイニングボールをそっと手渡した。茨城大会を制したときは「いらない」と突き返されたが、今回は「最後だし、もらっとくかな」と応じてくれた。(敬称略) ◇ 木内さんは2007年秋に監督復帰。08、09年夏に甲子園出場を果たし、11年夏を最後にユニホームを脱いだ。 20年12月の葬儀後、ウイニングボールは17年ぶりに遺族から松林部長に託された。「このボールをいつまでも価値あるものにしたい」。名将の思いを背負い、チームの新たな歴史を刻んでいく覚悟だ。(この連載は田内隆弘が担当しました) ……………………………………………………………………………………………………… <第85回全国高校野球> ▽決勝 常総学院 000300010=4 020000000=2 東北