矢井田瞳:走り続けたあの頃、気づいた自分らしい音楽と伝えたい“MY MESSAGE”
裸足でステージを走り、颯爽とギターをかき鳴らす。カッコいい「ギター女子」の先駆け的存在だった「裸足の歌姫」も、一児の母になった。ヤイコこと矢井田瞳。デビューしてもうすぐ15年になる。今思うと、駆け抜けたあの頃はどうだったのだろう。変わったこと変わらなかったこと。今はどんなふうに音楽と向き合っているのだろう。音楽との距離感は? 新たに参加した福島県相馬市を支援するための「MY LIFE IS MY MESSAGE」という活動への思いは。 ヤイコが元キャバレー“なんばユニバース”で「元気祭り」/大阪 ──デビューからもうすぐ15年ですね。当時と今で思いなどに変化はありますか? 今は、ライブをすることや他でも、一個一個ちゃんと実感しながらできているというか。そんなこと昔からできてなくちゃいけなかったはずなんですけどね。でも、デビュー当時はまだ若かったり、忙しすぎたこともあって、なんか疑問に思いながらやっちゃってたこともあったんです。今はいろんなハプニングや予期せぬ出来事すら、楽しいとは違うけど、“そうきたらこっちはこう出よう”みたいな。こういう音楽がやりやかったんだと実感しながら。音楽をやることはコミュニケーションなんだなって思います。
ヤイコは2000年7月、「B'coz I Love You」でメジャーデビューした。間を置かずリリースした2nd Single「My Sweet Darlin'」の「ダーリンダーリン」というキャッチーなフレーズが人気となり大ブレイク、一躍、音楽シーンのトップに躍り出た。デビューアルバム「daiya-monde」はミリオンセラーとなり、オリコン1位を獲得。翌年リリースの2ndアルバム「Candlize」も1位に。その年の暮れには大阪ドーム(京セラドーム大阪)でカウントダウンライブを行った。 毎年のようにシングル、アルバムをリリースし、ドームやホールなどでライブツアー。ヤイコは走って走って走り続けた。 ──デビューから、リリース、リリースで駆け抜けて……。 そう。アウトプット、アウトプットしろっていう。忙しかったからこそできた曲もいっぱいあるんですけど、やっぱり出すだけじゃしんどいから。今はすごいいい感じです。 ──転機はありましたか? そうですね、いろいろもまれたからだと思います。もまれた後で、自分一人でできることには限りがあると知ったとき、その先どうやって音楽を続けていこうかと思ったら、誰かとアンサンブルしたり、一緒に音を出すことによって無限になると。それに気づいたときに、ふっと肩の力が抜けました。音楽を長くやっていると自分の心の浮き沈みっていうのがあります。でも、ラッキーなことに沈んでいるときに大切な人に出会えるというか……。それこそ、HEATWAVEの山口洋さんも、私が何のために音楽をやっているのかとわけわからなくなっていたときにふと現れて、私を直接慰めるということではなくとも、そのたたずまいを見るだけで、”あ、答えがここにあった“と気づかされたり。