【奥能登現地ルポ】復旧したくてもできない…圧倒的な労働力不足が映し出す日本の近未来
漁師が建設会社でアルバイト復興に向け〝総動員〟
「ごみ集積所に汚物や生ごみが山積みになっていました。放っておいたら衛生面で問題があると思いましたね」 輪島市立門前西小学校の避難所で責任者を務める中口喜久男さんは震災直後の避難所の様子をそう振り返る。 同市内で家庭ごみなど一般廃棄物の収集を請け負う門前生活環境(石川県輪島市)が収集を再開できたのは1月6日。出勤した収集員4人が、各避難所に積み重なった大量のごみを丸一日かけて回収した。社長の定見充雄さんは「満足に水も電気も使えない中、収集員は手をかじかませながら職務を全うしてくれました」と振り返る。 小誌取材班は、同社に許可を取り、松井直志さんが運転するごみ収集車の後を車で追いかけ、避難所の可燃ごみ収集に同行した。集積所に到着すると、ひと際、異臭を放つ黒い袋が山積みになっていた。避難所で暮らす被災者の簡易トイレ後の汚物(し尿)だという。
「収集車に投げ込みプレスすると、黒い袋が破け、汚物が飛び散ることがあるので気をつけてください」 松井さんにこう言われ、小誌記者は収集車から3メートルほど離れた。それでも勢いよくはじけた汚物は記者の服に飛び散った。顔をしかめる記者を横目に、松井さんは淡々と収集を続け、次の集積所に移動した。 前出の中口さんは、収集員が汚物の跳ね返りを被る場面を何度も目撃した。 「それでも、彼らは『仕事ですから』と言うんです。心の中で『ごめんね、ごめんね』と何度も謝り、手を合わせながら見守っていました。本当に頭が上がりませんでした」
てんやわんやの建設会社目先の「作業」で精いっぱい
舗道工事会社に勤める中野洋充さんの自宅は、朝市通りから一本海側の「浜通り」沿いに建つ。被災直後、津波を警戒し高台に避難したが、19時頃に車を取りに帰宅すると、道路を挟んだ山側のエリアは真っ赤に燃え上がっていた。眼前に広がる焼け野原を見つめながら中野さんは次のように話す。 「正直、ここが元に戻る姿は、現時点では想像できません。ただ、安心して暮らすために、がれきだけでも早く撤去してほしいです」 中野さんの自宅から約50メートル、重機の轟音が鳴り響く現場では、肌を真っ黒に焦がした3人の男性が延焼した配水管の取り換え・敷設工事を行っていた。水道設備業を営む川端光栄さんは「いつもは建設会社が穴を掘ってくれ、私たちは管の取り換えや修繕をします。でも、建設会社は今、手が回らない。だから、自分たちで穴を掘って管を通し、アスファルトで埋めなければならず、普段の何十倍も時間がかかります」と話す。 事実、輪島市の土木工事や建築工事を請け負う里谷組営業企画部の里谷光蔵さんはこう言った。「県道、市道の応急復旧工事など、てんやわんやです」。建設会社はあちこちの現場にひっぱりだこだ。 輪島市内を車で走行するのは、いつも以上に集中力を要する。建物や電柱は倒れ、マンホールは隆起し、道路にひびが入っている場所が珍しくないからだ。「『仕事がいっぱいあっていいね』と言われることがありますが、今やっているのは、穴が開いているところを見つけては砂利を流し入れるという目先の『作業』ばかりです。これからの公共工事の受注見通しや社員の生活などを考えると不安になります」と里谷さんは話す。