南こうせつ「突然声が出なくなるかもしれない」 75歳の境地「衰えた自分をみんなで突っ込んでほしい」
全世界中継された『ライブエイド』で司会を務めた過去
南は「大の洋楽好き」としても知られる。1985年に全世界で中継された20世紀最大のチャリティーコンサート『ライブエイド』の日本放送で故逸見政孝さん(アナウンサー)と共に司会を務めた。あれから39年。今も思い出は色あせていない。 「この取材でライブエイドの話ができるなんてうれしいですよ(笑)。39年前の7月13日、アフリカの子どもたちを飢餓から救おうとボブゲルドフの呼びかけで世界中のミュージシャンが立ち上がり、イギリスとアメリカ2つの大きな会場で同時に合計12時間以上におよぶコンサートが開かれたんです。日本ではフジテレビが放送権を持っていて、最初は番組プロデューサーから『生でひと言コメントをください』と言われ、『そちらの都合で何時でも良いですよ』と返事をしたら、『じゃあ、通しで出てください』と言われたんです。また、全世界で放送される日本の放送時間が7分間でわが国のアーティストを誰にするか相談を受けて『小田和正、矢沢永吉、佐野元春、ラウドネスの4組が良い』と提案しました」 ぶっつけ本番のイベント。現地でもさまざまなトラブルがあったという。南も当日の混乱ぶりを回想した。 「日本のスタジオでも次に誰が出てくるか分からなくて、曲名もその場で調べながらテロップを出したり、進行はとても大変でした。アメリカからは『ビートルズの再結成があるかもしれない』という情報が飛び込んできて大混乱でしたね。結局、再結成はなかったんだけど、最後にボブ・ディランが『風に吹かれて』をキース・リチャーズとロン・ウッドを従えて歌ったシーンは忘れられないです。僕の中では69年の『ウッドストック・フェスティバル』と『ライブエイド』は今でも思い出に残る音楽イベントです」 そんな海外の音楽イベントに触発され、81年から14回開催してきた『サマーピクニック』。南の思い出は尽きない。 「どれも仕切りは大変だったけれど、終わってみるとみんな楽しかった思い出です。印象に残っているのはサマーピクニック10回目(90年)です。福岡市の野外会場に3万3000人ものお客さんが集まってくれてうれしかったですね。松山千春、吉田拓郎、井上陽水をはじめ、僕が声を掛けたゲストがみんな出てくれてね。チケットは即完したんだけど、会場には彼らの歌を聴こうとチケットを持っていないお客さんがどんどん集まってきて、あわてたスタッフが『どうしましょう』って言ったんで、僕は『もう柵を取ってしまって、タダで入れちゃおう』って決断しました。まさにウッドストックですよ。明け方にステージから見たお客さんたちの光景は忘れられません」 話は変わり、南がトレードマークのメガネについて語った。 「昔は家に100個くらいあったけど、今はかなり処分してしまい30個くらいかな。丸型が多いんだけど、四角いメガネもよくかけていますよ。やっぱり、メガネによって印象も変わるから、仕事や場所によって使い分けています。僕は結構、昔の文学者がかけていた黒縁メガネとか、ああいうのに憧れがあるんです。今でも街を歩きながら気になったメガネを見つけると思わず衝動買いしてしまうクセがあるんです(笑)」 最後に「生まれ変わってもミュージシャンになりたいか」と聞くと、「もし、みんなに受け入れられたらギターを持って歌うかもしれないけど」と返答。その上で「やっぱり、寂れた村でカフェをやりたいな」と答えた。 「めちゃくちゃおしゃれなカフェをやりたい。だって、おしゃれなカフェにはきれいな女の子が来てくれるんでしょ(笑)」 □南こうせつ 1949年2月13日、大分県生まれ。1970年にシンガー・ソングライターとしてデビュー。直後に『かぐや姫』を結成し、『神田川』『赤ちょうちん』『妹』など数々のミリオンセールスを記録。解散後はソロとして『夏の少女』『夢一夜』等のヒット作品を発表。75年、静岡・掛川市のつま恋で国内初となる野外オールナイトコンサートを吉田拓郎と開催。約6万人の若者を集め、「伝説的な野外コンサート」として今でも語り継がれている。76年、日本人初となる日本武道館でのソロコンサートを開催。81年、九州地区でオールナイトコンサート『南こうせつサマーピクニック』を10年連続開催。現在は九州で田舎暮らしを行い、自然と向き合っている。
福嶋剛