演劇ジャーナリストの大島幸久氏、並び立つ大名跡は「やはり驚いた。”二人菊五郎”は画期的な実験」
8代目尾上菊五郎を襲名する尾上菊之助(46)は27日の会見で、お互いに歌舞伎の名門に生まれた御曹司として幼少期から切磋琢磨(せっさたくま)してきた市川團十郎(46)との共闘を誓った。前日(26日)に千秋楽を迎えた歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」でも共演した盟友に「13代目團十郎さんと、スクラムを組んでやっていきたい」とメッセージ。團菊新時代を築く決意を表明した。 【イラスト】音羽屋緑威関係図 “二人菊五郎”とは、やはり驚いた。やはりというのは想定外だったからだ。菊五郎が菊之助に名を譲るのはいつか、どのような形か。最初に思案したのが20年ほど以前だった。 尾上辰之助が現松緑となり、現團十郎の新之助が海老蔵を襲名した直後、平成の三之助と呼ばれた残る一人の菊之助を心配した当時の松竹・永山武臣会長が菊五郎と話し合った。「倅(せがれ)はまだ菊之助でいたいと言っている」と菊五郎は伝えて現在に至っている。 その後、菊五郎にそれとなく聞いたことがある。本人はいくつかの考えを持っていた。 父・梅幸の名は継がない。次に、自身が菊之助に戻り、菊之助が菊五郎になる。つまり、名前を交換する。これは市川團十郎家に前例があった。「それは考えたこともある」と、語ったのも覚えている。 歌舞伎俳優は役者としての名前の他に、俳句を詠む際に使用する俳名を持ち、俳名を襲名することも多い。菊五郎の俳名は「三朝」である。「おい、三朝だぜ!」。まるで噺家(はなしか)のような名前に苦笑していた。これも、なし。市川猿之助が猿翁を名乗り、松本幸四郎は白鸚を襲名し、坂東彦三郎が楽善となった。「皆、すごいな、偉いなあ」と感心する一方、自身は年寄りくさい俳優名に興味はなかった。 では、新たな名前を考案し、初代を名乗るのか。「何かないかな?」。菊五郎にふさわしいのは菊五郎しかない。家族の中でも純子夫人は「ウチの旦那は菊五郎のままでいてほしい」と、つぶやいたことを思い出す。 大名題の襲名は後ろ盾、つまり親が健在であり、「口上」にしても同席した方がいい。親が亡くなってから子息が襲名するより親子同時が最良だと伝えたし、菊五郎も同じ考えだった。菊五郎を名乗ってから50年。孫も育った。自身の体調に留意する年齢になった。それでも、やはり“華”と色気が違う名跡の菊五郎のままでいたい。しかし、意外な奥の手があったものだ。 菊之助の将来はいばらの道が待っている。結束が求められる菊五郎劇団を率いる重大さ、度量の大きさ、世話物の音羽屋の芸の継承、また丑之助、眞秀の指導。何より魅力ある8代目の芸。“二人菊五郎”は画期的な実験の選択でもある。(演劇ジャーナリスト・大島幸久氏)
報知新聞社