【「ナミビアの砂漠」評論】誰もが心の中に持っているストッパーを軽々と外して生きる爽快さ
山中瑶子監督は、19歳のときに撮った自主映画「あみこ」がPFFアワード2017の観客賞を受賞し、史上最年少でベルリン国際映画祭の正式出品作にも選ばれてその名を知られるようになった。地方都市のこじらせ女子高生の小さな冒険を描いた「あみこ」を「若者の初期衝動」と形容するのは簡単だが、技術的にはほぼ素人ながら「映画とはこういうものである」という確固たる独自のビジョンと、観た者に「ここに“映画監督”という生き物がいる!」と確信させるセンスに満ちていた。 【フォトギャラリー】「ナミビアの砂漠」<場面写真> その後、三浦透子と古川琴音が主演(山中監督も含めて同学年トリオ)の単発ドラマ「おやすみ、また向こう岸で」や、若手監督育成プロジェクトndjcで短編「魚座どうし」などを発表。より先鋭化した天才っぷりで一部の映画ファンを震撼させていたわけだが、ついに本格的な長編映画デビューを果たした「ナミビアの砂漠」は、天才、天才ともてはやす過剰な期待などどこ吹く風といった自由さで、誰も見たことのない傑作をものにしていてビビる。 本作が映し出すのは、窒息しそうに退屈な現代の東京で、手負いの野獣のような自分自身を解き放つ主人公カナの姿。職場の美容脱毛クリニックではそつなく仕事をこなし、料理も家事も得意な優しい彼氏のホンダと同棲中。しかし心の弾薬庫に火をくべるかのように、新恋人であるハヤシとの二股恋愛にのめり込んでいく。無軌道で無関心、それでいてピュアな憤りを募らせるカナは、やがて社会から自分を弾き出し、精神の平衡すら失っていく。 隙あらばタバコをふかし、ウソや悪態をつき、独りよがりなルサンチマンを炸裂させるカナを見ているのがどうしてこんなにも面白いのか? それはおそらく、カナがほんの少し私たち凡人の基準から飛び出していて、誰もが心の中に持っているストッパーを軽々と外して生きている爽快さゆえではないか。どこにも見つからない答えを「オイこら、よこせ!」と切っ先を突きつけてくるカナ=河合優実の無謀さと勇猛さに惚れ惚れせずにいられない。 本作は、窮屈な現代社会に押し込められた苦悶の叫びのようであり、また、この世界をわしづかみにしようと試みる陽気でユーモラスなゲームにも見える。いや、それも必死で解釈してなにかを見出したがる人間の勘違いかも知れない。いずれにせよ、規格外ながら圧倒的な実在感を持ったカナというキャラクターの暴れっぷりを、自分以外の人たちがどう受け止めるのかが知りたくてたまらない。 (村山章)