「200ヤードが止まらなくて…」レジェンドの助言で7番ウッドの先駆者に 片山晋呉は“弱点を得意”に変えて賞金王5回
国内男子ツアー開幕戦の「東建ホームメイトカップ」の最終日、7バーディ・ボギーなしの「64」をマークして17位タイに入った片山晋呉。51歳になってもまだまだ存在感を示している。通算31勝を誇る永久シードプレイヤーが、男子プロの深堀圭一郎がMCを務めるALBA TVのトーク番組「K’s STUDIO」に出演。クラブの力を借りて“弱点を得意”に変えられたエピソードを披露した。 【動画】20代の片山晋呉は「この世界でやっていけない」と7番ウッドに目をつけた 「体は限界にきていると思うのでテクノロジーをどう使うか。とりあえず新しいものは全部いっとこうと」。そう話す片山は今でも最新クラブのテスト&調整に余念がない。練習だけでなく実戦で使ってみないとわからないという考えから、昨年は4日間すべて別のドライバーを使った試合もあったほどだ。 これは今に始まった話ではない。20代の頃からしのぎを削ってきた深堀は、「日本人でショートウッドを入れたのはたぶん初めてだと思う」と、いち早く7番ウッドを投入したと話す。ショートウッドの先駆者はクラブの力も借りて海外勢のパワーに対抗。2001年の「全米プロ」で4位タイ、09年の「マスターズ」では首位と2打差の4位と世界の舞台で戦ってきた。 今では男子プロが使用することも珍しくない7番ウッドを片山が投入したのは、20年以上前の話しになる。1990年代後半、片山が20代の頃だ。そのきっかけとなったのは、ある試合で丸山茂樹、深堀と同組でラウンドしたと明かす。 200ヤードほどのパー3で、丸山と深堀のボールはグリーンに着弾してグリーン上に止まったが、片山のボールは同じところに落ちてもグリーンの外にこぼれたという。「3番アイアンか4番アイアンで打ったと思うんですけど…。絶対にこの2人には勝てないなって思ったんです。どうにかしないと僕はこの世界でやっていけないと思った日でした」。先輩2人にロングアイアンのクオリティの差を見せつけられた。 ツアープロとして戦っていくために「デビッド・イシイさんに相談しにいったんです」とその時のことは今でも鮮明に覚えている。日本ツアー通算14勝の名手で、1987年には年間6勝を挙げて外国勢として初めて賞金王を獲得したイシイである。当時は40歳を過ぎていたが、第一線で活躍していた。 なぜイシイかというと「一人だけ7番ウッドを入れていたんです」。当時のプロゴルファーでは珍しい7番ウッドの使い手に話しを聞きに行った。「デビッドさんは『俺も200ヤードが止まらなくて、すごく悩んだ。7番ウッドを入れてから、(200ヤードの距離が)バーディを獲れる確率はウェッジに次いで2番になった。今まではボギーだったのが、ね』と教えてくれました」。 これまでは200ヤードの距離があると“ボギー必至”の状況だったが、ボールの高さが出せてグリーン上で止められる7番ウッドを入れたことで、ウェッジに次いでチャンスを演出できる距離になったという。それを聞いた片山は「翌週からすぐに入れました。デビッドさんのおかげです」と即投入を決めた。 3番アイアンの替わりに7番ウッドを入れた片山もイシイと同じように「弱点だった7番ウッドの距離が得意になっちゃって」。そこから片山の快進撃が始まり5度の賞金王、通算31勝の礎が作られた。 ちなみに09年のマスターズでは6番アイアンの替わりによりボールの上がりやすいユーティリティを使用し、今でも最適なテクノロジー探しはとどまることを知らない。
ALBA TV