『山と高原地図』はどう作られているのか。その裏側に迫る
『山と高原地図』はどう作られているのか。その裏側に迫る
等高線のみで表現される国土地理院の「地形図」に対し、さまざまな情報が記載される「登山地図」。そんな登山地図の代表格である『山と高原地図』はどうつくられているのかをうかがいました。
“あの地図”ができるまで
日本全国58エリアの有名山域を網羅する、昭文社の『山と高原地図』。なかでも屈指の情報量ではあるまいか、「西上州妙義山・荒船山」を手に取ると、記載された書き込みの多さに舌を巻く。 「おかげで林道線が見えにくい、なんておしかりを受けることがあり、全体としては減らす方向で考えているのですが……」。なかなか難しい山域ですし、見てほしい景色もたくさんありますので。そうつぶやいて、苦笑い。 さらには、ピーク付近のルートを解説した図が5点掲載されている。「妙義山など山頂付近がややこしいところには、詳細図があったほうがいいだろうと提案させてもらいました」。 にこにこしながら話すのは、「西上州妙義山・荒船山」の執筆者である打田鍈一さん。その笑顔には、西上州の山々への限りない愛情と、徹底的な踏査を基にしているという静かな自負が漂う。
西上州の山々との出合い
「20歳くらいで山をはじめ、最初は北アルプスなんかに出かけました。けれど、山行を重ねるごとに、山のすばらしさよりも、その混雑さが不満に感じられてしまったんですね」。 そこにはもうひとつ別の思いも。古いにしえの山岳書籍にあるような、ロマンのある登山がしてみたい。「明瞭すぎる登山道を歩くのではなく、道なき道をゆく、パイオニアワークのような山登りに憧れていたんです」。 勤めていたこともあり、山行は日帰りかせいぜい2日。短時間で充実感を得られる山はないか……。「そうしてたどり着いたのが、標高が低いながらも、険悪な岩峰と道形不詳な、西上州の山々だったわけです」。 1970年代の半ば、当地を訪れる登山者は少なく、山里に暮らす人たちの踏み跡がわずかにあるばかり。情報の少ないなか、読図力と登攀能力、感性をフル回転させる登山で技を磨き続けてきた。 そして、のちの地図製作へとつながる架け橋がもうひとつ。宝物ですと笑いながら、古いノートの束を取り出した。「はじめたころから、山行記録をつけていました。自分へのガイドブックとしてですね。記録を書き終えるまで、次の山に行けないくらい、夢中でした」。 そこには手描きの地図と行動記録、登山中に気づいたアイデア、そして山行日誌がていねいに綴られている。打田さんが『山と高原地図』に携わる背景には、こうして歩んできた道があった。