YouTubeで『大喜る人たち』を運営する小川悠介が語る大喜利の魅力
実力派芸人とアマチュアプレイヤーが、同じステージで大喜利に答える動画が話題を呼び、登録者数19万人を超えるYouTubeチャンネル『大喜る人たち』。その動画の編集と運営を一手に担っているのが、映像作家の小川悠介さん。ニュースクランチ編集部は、小川さんに『大喜る人たち』を始めた経緯や、大喜利の魅力、好きなことを仕事にする方法などを聞いた。 【インタビュー写真】Fun Work ~好きなことを仕事に~ <映像作家・小川悠介> ◇YouTubeなら自分でやりたいことができる 小川さんがお笑いに興味を持ち始めたのは中学生の頃。世間はお笑いブームで、『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』などネタ番組が多く放送されていた。小川さんもそんな番組を見てお笑いにハマった一人だ。 「芸人をやりたい気持ちもなくはなかったんですが、そもそも自分が面白い人ではないと思ってたので、“そんなの無理に決まってる”と思ってました」 大学に進学した小川さんはテレビ業界に興味を持ち、放送作家という職業の存在を知ったことで、裏方としてお笑いに携わる方向へと惹かれていった。そして大学を卒業後、東京のテレビ番組制作会社に就職し、上京。しかし、その制作会社ではバラエティ番組の制作はやらせてもらえなかった。 「スポーツの番組を作ってたんですが、スポーツを1ミリも知らなくて……。ツラかったですね。当時は業界的にも上下関係が強いし、能力が高くないと自分のやりたいことは当分できないな、と思いました」 1年ほどで制作会社を退職。その頃ちょうど、YouTuberが認知され始めた時期だった。 「YouTubeなら自分でやりたいことできるじゃん!って思ったんです。制作会社でも映像は作ってましたが、ちゃんと勉強しようと思って、すぐに編集ソフトとカメラを買って、独学で編集技術を身に付けました。とにかく“映像でお笑いに関わりたい”っていう気持ちで、最初は友達と一緒にYouTubeを撮るところから始めました。その後、YouTubeの制作会社にも入って、映像関係の仕事をするようになりました」 ◇きっかけは『大喜利千景』を見に行ったこと 映像作品を作り、YouTubeにアップすることを始めた小川さん。初めは知り合いの芸人や俳優たちと、コントやバラエティを作ってアップしていたが、思うように数字は伸びなかった。 「テレビでは自分のやりたいことができなかったので、テレビ業界を辞めてからもずっと作り続けていたんです。身近なところから自分のできることをやり続けようと思って。それは全く再生もされず、お金にもなってないんですけど」 そんな時期を経て、大喜利の動画をアップするようになるが、もともと大喜利が特別好きなわけではなかった。 「お笑い全体が好きで、そのなかの一つって感じでしたね。最初は『内村プロデュース』を見て“大喜利って面白いなぁ”と思ったのは覚えてます。それから松本人志さんの『一人ごっつ』などで大喜利の奥深さを感じました」 大喜利の動画を作ってみようと思ったのは、ピン芸人の寺田寛明さんが主催する大喜利ライブ『大喜利千景』を見に行ったことがきっかけだった。 「SNSで仁木さん(仁木恭平 / 現・ケビンス)に注目していたんです。“この人、面白いな”と単純に思っていて。それで、『大喜利千景』の出演者に仁木さんがいるから行ってみようって感じで見に行きました。そこで初めて大喜利のライブシーンに触れて、若手の面白い人がこんなにいるんだって気づきました。 会場はすごい盛り上がってたし、独自の文化が作られてたんです。当時はYouTubeの大喜利はなかったですし、こんな面白いシーンをもっと気軽に見れるものがあればいいなと思って、大喜利動画の制作を始めました」 2018年12月に「大喜る人たち」がスタート。始めの頃はオファーも手探りで、全く面識のない人にX(旧Twitter)のDMで連絡をすることもあったという。 「アマチュアの大喜利プレーヤーに出てほしいなと思って、最初に俺スナ※さんをお呼びしました。いま考えたら、オファーをもらった側も戸惑ったでしょうね。でも、自分でやるしかなかったので。俺スナさんから徐々に紹介してもらって、広げていきました。俺スナさんの存在が大きかったですね」 ※『大喜る人たちトーナメント』第一回・第二回優勝者。イベントでは司会なども行っている。 『大喜る人たち』を始めてしばらく経ったあるとき、TikTokに上げていた動画が突然バズった。それが小川さんが初めて手ごたえを感じた瞬間だった。 「TikTokに上げ始めたら早めにバズったんです。今までいろいろ動画を作ってきたけど全然伸びなかったのに、大喜利はバズるんだ!って思いました」 しかし、チャンネルが軌道に乗るまでには、もう少し時間がかかった。 「その頃は登録者も2000人くらい、再生数も1000回くらいで、そこまででもなかったです。それが徐々に増えていって、登録者が1万人くらいのタイミングで、寺田さんの回答がバズったりとか、Aマッソさんに出てもらって、再生数がグンと伸び始めたんです。それが2021年の6月くらいです。だいたい3年くらいかかりましたね。あと、真空ジェシカさんが初めて『M-1』の決勝に出たときも、グッと上がった感じがありました」