「江夏の21球」「伝説の10・19」の球審、前川芳男氏が逝去 江夏豊のプライドを守るために、30年以上も黙っていた“事実”があった
「同時はアウトだったですよ、心の中でね」
阪急時代の今井雄太郎が1978年8月31日のロッテ戦で史上14人目の完全試合を達成したときも、前川さんは二塁塁審として目の当たりにしている。 「あれは大橋(穣)がショートじゃなかったら、完全試合できてないですね。(外野に)抜けるような当たりが2、3本あった。大橋じゃなかったら内野安打です。最近、今井とこの話をしたら、やっぱり大橋に助けられたって。(記録には)運不運ってありますよ。審判の立場では、完全試合やノーヒットノーランは、球審より一塁塁審が一番気を遣う。私も完全試合2つ、ノーヒットノーランを1つ見たし、あと1人か2人でダメになったのも、けっこう見ました。辞めたから言うけど、そういう記録はね、やっぱり達成させてあげないと。ルール上は、同時はセーフですが、私はね、同時はアウトだったですよ、心の中でね。同時のプレーは内野手の好プレーの結果だから、(アウトで)認めてあげたほうが、お客さんも喜ぶんです。若いころアメリカに行って、オープン戦の球審やったんです。そしたら、私がストライクって言うと、お客さんがブーイングするんですよ。何で? オレの判定が間違ってんのかなと思って、試合後にお客さんに聞いたら、あなたのストライク(判定)を見に来たんじゃない。バッターが振るのを見に来てんだ。バッターが振らないのにストライクとは何事だって。根本的に野球が違うなって。(守備の好プレーも)アメリカでは同時アウトという感覚なんです」。
「カーブは全然曲がってなかった」
そして、1979年11月4日、日本シリーズ第7戦での“江夏の21球”で、前川さんは球審を務めた。 「あのときは雨降ってたんです。(広島1点リードの9回満塁のピンチで)私がマウンドの江夏のところに行くと、“(雨で)もう放れません”って。それで“じゃあ、放れるようにグラウンド整備してやるから。近鉄もお前も条件は一緒なんだ。だから、お前も辛抱してやれ”って言い聞かせました。そのあと、江夏はカーブで(石渡茂のスクイズを)外したと言ってるけど嘘。カーブは全然曲がってなかった。だから、実際にあのボール見て、あれ? 外したと思ったね。外したのなら、変化球じゃないでしょ。まあ、江夏のプライドもあるから、30年以上、ずっと黙ってたけどね。実際には雨でグラウンドがぬかるんで踏ん張りが利かなかったんだろうし、結果的に(カーブが曲がらなかった)そういうことになったんでしょう」