野村克也が語る“背番号19”「ホークスの19番といえば甲斐という存在になってほしい」
新人投手が「19」を着けたときはショック
2018年12月、本誌で対談した際のツーショット。筆者は甲斐が背番号「19」でさらに成長することを願っている/写真=BBM
ソフトバンクの正捕手・甲斐拓也が、今季から背番号「19」を背負う。 私が1977年、南海ホークスを退団して以降、“ホークス”のキャッチャーが背番号「19」を着けたことはなかった。私のあとに「19」を着けたのは、81年の新人投手・山内孝徳。あれは正直、ショックだった。 仮に球団から「19」番を提示されたとしても、「そんな背番号、恐れ多くて着けられません」くらいのことを言って、断るだろう。ところが山内孝は、「南海といえば19番」と、自ら「19」を希望したとさえ聞く。その要求に応え、南海球団があっさり「19」を受け渡したのだから、私はそれほど大した選手ではなかったのだということだ。 しかも当時、南海には山内姓のピッチャーが3人おり、18番・山内和宏、19番・山内孝徳、20番・山内新一と背番号まで並べ、「山内トリオ」として売り出したい球団のもくろみもあったようだ。 以降、“ホークス”の「19」番といえば、すっかりピッチャーの背番号になってしまった。 私が初めて甲斐と話をしたのは、2017年。取材で訪れたベンチに、当時バッテリーコーチだった達川光男が連れてきた。甲斐と私は同じ母子家庭育ちで、片やテスト生、片や育成選手上がりという、よく似た境遇。謙虚で努力家、親孝行の好青年だった。 「次に19番を着けてくれよ」 思わず、そんな言葉が口をついて出た・・・
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週刊ベースボール