回転技極め夢舞台へ ブレイキン大能 突き詰める性格、トップ選手に成長
●穴水に祖母「地元に元気届け」 たゆまぬ努力が夢舞台への道を開いた。パリ五輪のブレイキン男子日本代表に決定した大能寛飛(おおのひろと)選手(19)=金沢市出身、北陸学院高OB=は「小さいころから好きなことを突き詰める性格」(家族)で、自分が納得できるまで得意の回転技を磨き続けた。挑戦と失敗を繰り返して成長してきた若武者は、約1カ月後の本番へ「死ぬ気で頑張る」と語り、さらなる成長と活躍を誓った。 大能選手は9歳の時にブレイキンを始めた。妹瑛(あきら)さん(17)のダンス教室について行ったことがきっかけで、母亜矢子さん(45)は「やんちゃな子で、習い事は何をやっても続かなかったけど、ダンスだけは楽しそうにやっていた」と振り返る。 今でこそ国内トップクラスの選手となったが、当初は抜きんでた存在ではなかった。AIONダンスアカデミー内灘スクールで、小学校時代の大能選手を指導した草野真澄さん(金沢市、日本ブレイクダンス青少年育成協会代表理事)は「他にも上手な子が何人もいた。大会ではいつも勝てなかった」と明かす。 ただ、大能選手には他の子にはない才能があった。「自分の決めたことは、納得するまで必ずやり切る子だった」と草野さん。新しい技に何度も挑戦する姿が印象に残っているという。 その後、大能選手は憧れていた大阪のダンススタジオに入り、さらに練習を積んだ。高い身体能力を生かして豪快な回転技などを繰り出す「パワームーブ」を得意技と呼べるまでに進化させると、昨年の海外転戦を機に頭角を現し、代表争いに割って入った。 パリ五輪予選シリーズ最終戦では、得意の回転技を披露したものの準々決勝で敗退。目標としていた出場権が遠のき、舞台裏で涙に暮れた。しかし、代表を争っていた菱川一心選手が準決勝で敗れたことで五輪代表が舞い込み、「悔し泣きがうれし泣きに変わった。努力してきて良かった」と喜んだ。 会場では父善行さん(45)、亜矢子さん、瑛さんも観戦した。亜矢子さんは「よく頑張ったねと言ってあげたい。うれし涙をくれてありがとう」と目をうるませた。 1月の能登半島地震で穴水町の祖母が被災した大能選手は「地元の人たちに元気を届けられた」とし、「パリにはチャレンジャーとして挑みたい」と気合十分に語った。