「青春ラジメニア」岩崎和夫アナ ── 毎週800通アニソンリクエストはがき見つめ25年
番組存続ピンチを救ってくれた影山ヒロノブ
25年もやっている人気番組ではあるが苦しい時期もあった。 「放送開始20年の時やったがスポンサーが降りて存続が危ぶまれた時もあったんです」。ある日、そのことをドラゴンボールZのオープニング曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」などで知られる影山ヒロノブに愚痴った。 すると、影山はアニメ・ゲームなどの音楽制作会社の社長に相談。後に本当にその会社がスポンサーになってくれ、現在も支えてくれているという。「そこの社長さんが、アニソンきいてくれている人の気持ちを大事にしてくれる方。コーナーをつくってくださったりするんで。本当にありがたい話しですね」 作曲家の田中公平や歌手の山本正之、声優の神谷明など数多くの番組を支えてくれる面々の力も大きい。田中公平は、曲をかけていると「作曲・田中公平」ということが多く「この人どんな人やろ?」とラジオで言っていたら、直接本人から連絡があり、今でも出演してくれているという。 また、この25年やっていた中でラジメニアンから声優などになった人も多い。「『地獄先生ぬ~べ~』などで知られる置鮎龍太郎さんなんかは『今度、声優デビューします』というはがきを読んで紹介しましたからね」。このほか、ゲストから「私もラジメニアンです」と言ってもらえるのは本当にうれしいという。
「しゃべる」ということは死ぬまでやりたい
この25年を振り返り「聴いてくださってる方、はがきにこだわるのも同じ。目の前にあるというか。ラジオってスピーカーですけど、パーソナリティがいて自分に語りかけてくれているんです。それは大事にしたいですね。それがあるから今も続けられているんです」 「今後もこの番組をずっと続けていきたい?」との問いには「続けたいとは思うんですが、ただもう還暦すぎの61。感性が追いついていけないと感じる時もある」と答える。「ラジメニアは若い方は、かおりん(南かおり)にまかして、ぼくはアダルトの受け皿になろうかなと思う。『アニソンを認めてほしい』という目標は達成されたので、あとはもう今の感性で受け継いでいって発展させる人も大事やと思う」とも続けた。 だが、「しゃべるということは死ぬまでやりたい」と笑顔で答えた岩崎アナ。きょうもラジオ関西で、はがきを眺め、ラジメニアンのことを思いながら番組に臨む。 ■岩崎和夫(いわさき・かずお)1953年東京都板橋区生まれの同北区育ち。小学校4年の終わりに母親の実家がある奈良県へ。大学卒業後に奈良県の中学校教師となるが、2年後にラジオ関西アナウンサーとして採用される。1986年、アニメソングに特化した番組『アニメ玉手箱』を担当し、1989年からは「青春ラジメニア」パーソナリティに。2001年に同局退社後はフリーアナウンサーとして活動。神戸電子専門学校講師なども務め、現在はラジメニアのほか「岩崎和夫の情報アサイチ!(ラジオ関西)」(毎週金曜午前5時50分~同9時まで)を担当している。